イオングループはなぜ流通日本一になれたのか。その背景には、独自の出店計画と店づくりがあった。『イオンを創った男』(プレジデント社)の著者である東海友和さんが解説する――。

※本稿は、東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。

アライグマ
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ショッピングセンターができれば、他の店もできる

立地はつねに変化している。

昔、一等地といえば交差点の角で、あるのは銀行だった。が、今ではそんなところに支店を出しているところはない。

商業立地では、かつては商店街、そこからロードサイドへ、さらに郊外のショピングセンターへと変遷している。また、一方で都心回帰の傾向もある。

イオンの立地戦略の特徴は、「立地創造」である。

現在の繁華街に出店をするのではなく、「キツネやタヌキが出るようなところ」にショッピングセンターを作る。ショッピングセンターが出来上がると、周りには他の店舗や飲食などが出店してくる。もちろん他のサービス業も加わり、新しい商業集団やミニ都市が形成される。

たとえ、近隣に何もなくても、巨大な駐車場を完備したショッピングセンターをよしとする。

それは、新幹線の駅でも同様で、既存の駅につくるよりも地方都市の何もないところに巨大な駐車場付きの駅を新しく作るとしたら、どちらが乗降客が多いか? といったら、駐車場付きの駅だという。

つまり、みんな遠くからでも車でやってきて、新幹線に乗り換えて目的地まで行くからというのである。

20キロ離れたところも商圏になっていた

キツネやタヌキが人より多いというわけではないが、事実、青森県おいらせ町のイオンモール下田は、八戸や十和田からもお客様がいらっしゃる。つくった当初は20キロ以上離れたところも、十分に商圏となっていた。

当然、キツネやタヌキが出るようなところならば、地価も安い。

経営的には地価が安いことは第一条件である。土地や建物の投資は低いほうがよく、投資回収期間は短い方が良い。PL志向ではなく、BS志向、長期適合志向である。

なによりも、立地では広域を狙う。遠くから一目で見えるといった視認性がよく、駐車場もたっぷりとることができる場所。結果、工場、農地、東北地方では元果樹園だったところも多い。