「店になっていない店」はただの建物

出店したらそれで終わりではない。出店した店舗や施設が、お客様にとっての「店」になっているかどうか。お客様にとって便利で、必要とするもの、買いたいと思うものがあるところ、それが店である。

スーパーマーケットのカート
写真=iStock.com/Minerva Studio
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一方、お客様から見て、すでに店ではない店、建物が多いと岡田はいう。

ひとくちでいえば「お客様を無視した店」「お客様のニーズに合致しない店」のことである。

たとえば、お客様の要望を無視して自分の売りたいものを並べる店、お客様にとって不便な店、自分の都合により営業日・営業時間をころころと変えるところさえある。ようは独りよがりの店である。

そういった施設や建物はあっても、「店になっていない店」を岡田は極端に嫌う。

「お客様にとって不便な場所にあり、しかもわざわざ出向くに値しない店は、お客様から見て単なる建物にすぎない」とし、「時代やお客様とともに自ら考えて、自ら変わっていく。そうすることで便利さを提供しつづける」ことが必要だという。

「店」とは公のものである

岡田は若いころから「店は客のためにある」という精神がしっかりと身についている。

店は「私」のものでなく、その存在は「公」である。だから、「私」の好みや便利ではなく、「公」から見てどうかという視点から見る。

つまり、お客様の視点である。店舗立地、構造、レイアウト、品揃え、棚割り、価格等、そういった細かい点にも具体的でとてもうるさい。店舗巡回時にはそのことしか話題にしなかったと言っても過言ではない。

同時にコスト面では、吹き抜けのエントランス、広すぎる通路、バックルームの広さ、広い事務所、過度な外観等、お客様の利便性に無関係なものには、「なぜあんなもん必要なんや」とまったく興味関心をもたなかった。機能追求型である。

幕張に本社が完成したときに、当時の社長・二木英徳氏に向かって「私の一番の失敗はこの本社をつくったことかもしれんな」と言ったという。

立派な本社に勤める社員は、会社が立派になり、自分も立派になったと勘違いをするからである。お客様(消費者)にとって本社がどうであろうと何ら関係ないにもかかわらず、である。