1955年、敗戦から10年が経った。翌年の7月、経済企画庁(当時)から年次経済報告、いわゆる経済白書が発表された。第一部総論の結語には次のような有名な文句が載っていた。

「もはや戦後ではない」が意味するもの

「戦後日本経済の回復の速さにはまことに万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。(中略)貧乏な日本のこと故、世界の他の国々にくらべれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期にくらべればその欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや『戦後』ではない」

野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)

戦後の経済白書のなかでも、もっとも有名な言葉、「もはや戦後ではない」は、前後の文脈を読めば分析というよりも、「もう敗戦意識を引きずる必要はない」というマニフェストだ。

いつまでも焼け跡の気分ではダメだ、これからは成長だ、みんなで幸せになるのだと世間を激励しているかのようだ。

同じ年、百瀬は発売されなかった車、スバル1500を忘れ、軽自動車スバル360の開発に取り組んでいた。

メンバーは前回と同じ百瀬学校の技術者たちで、中島飛行機で飛行機製作に携わったことのある男たちである。「軽自動車」をターゲットに決めたのは前年に発表された国民車育成要綱案(通産省、現経済産業省)があったからだった……。

※この連載は2019年12月に『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)として2019年12月18日に刊行予定です。

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