【田原】たしかに街によって集まる人は変わりますね。東京の文化の中心は、なぜか東急の牙城である渋谷。堤清二は池袋を渋谷に対抗する文化の発信地にしようとしていたけど、できなかった。もう1つ、鉄道はどうですか?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【加藤】たとえば、AIで混雑のピークを分散させる仕組みがあればおもしろいですよね。混雑時とそれ以外で料金を変えるなどして、電車の混雑が緩和されると、沿線の方々の生活が快適になります。

【田原】それはおもしろいね。さて、話を戻します。加藤さんは事業提案したいと考えて東急を選んだわけですが、提案は出世しないと無理じゃない?

【加藤】いえ、東急は風通しがいいんです。私は入社1年目から住宅事業部で経理をやっていました。そこでは経理だけでなく、地図をつくる仕事があって、当時は住宅地図をコピーして切り貼りしながら地図をつくっていました。しかし、その作業にとんでもなく時間がかかる。そこで課長に電子地図の導入を提案したら、理解してもらえた。1年目からそういう提案ができる会社でした。

【田原】でも、それは現場レベルの改善。事業提案はどうですか?

【加藤】入社4年目に「住まいと暮らしのコンシェルジュ」というサービスを提案して事業化されました。これは、住宅のなんでも相談窓口。いままでは沿線の方々に自社商品を販売していましたが、自社商品以外も提案できる場所をつくって、ニーズの掘り起こしを行うというものでした。この事業は企画から現場の店長まで6年間関わりました。

【田原】なるほど。加藤さんは現在、東急でオープンイノベーションを推進している。自社で新規事業に挑戦できる環境があるのに、なぜオープンイノベーションに舵を切ったの?

ベンチャーと組む本当の理由

【加藤】きっかけは、やはり新規事業を検討したことです。当時私は青山学院大学のMBAコースに通っていて、最終論文で日本の伝統技能と海外のデザイナーをマッチングする事業プランを立てました。たとえば、こけしを海外のデザイナーがリデザインすれば、売れるんじゃないかと考えたわけです。

しかし、そのためのプラットフォームをつくろうとしても、当時、東急社内にはWebエンジニアがいなかった。Webプラットフォームが必要なら外部のベンダーに発注する必要がありましたが、それだと臨機応変にアジャイルでサービスをつくっていくことが難しい。ベンダーに発注するのではなく、エンジニアリングの技術を持っている会社と協業すれば、自分のやりたいことができるかもしれない。そう考えて、オープンイノベーションを推進することにしました。

【田原】具体的にはどうするんですか?