中レベルの高校の中レベルの成績の子は自分に自信がない
「中の中」層の不遇……。これを裏付ける証言もある。大学偏差値で中堅よりやや下の位置を示す都内の私立大学の教授が「現在の教育の問題点」として語ってくれた話だ。
「私のゼミでは、とにかく学生に意見を言わせることを大切にしています。ところが、最初はなかなか意見を言わない。ウチに入ってくる子たちは、中くらいの高校の中くらいの成績を収めてきた子たちがほとんどですが、彼らは、まず、自分の意見を第三者の前で発言してきた経験がないから、突然、考えていることを発表しなさいということに対処できないのです」
さらに、その教授はこう教えてくれた。
「彼らは決して、意見を持っていないわけではなく、むしろ、その逆です。その証拠に、ゼミ生たちはこう言うのです。『先生、自分も意見を言っていいんですね? 今まで、こんなにも自分の話に真剣に耳を傾けてくれる大人はいませんでしたから……』。つまり、彼らは今までの人生の中で主張してこなかったのではなく、その主張を黙って聞いてくれる“大人”に巡り会ってこなかったのです。彼らの主張・意見にはキラリと光るものがしばしば含まれます。これまで彼らを黙殺してきた大人たちの“罪”は今、いろいろなところに露呈していると思います」
これは「大学から見た現在の中高教育の問題点」という取材テーマの中での発言だ。
“承認欲求”が満たされないと「人生の満足度」はがた落ち
筆者もこの「中の中の子が危ない」という指摘に賛同する。人は大人も子供も“承認欲求”を持つ生き物だが、その欲求が満たされないと、人生の満足度は極端に下がるものではないだろうか。
特に思春期は精神的に不安定になりがちな年頃だが、彼らは「君は存在するにふさわしい」という第三者の肯定を待っている。つまり、「ほっといてほしい」のではなく、まずは「話を聞いてほしい」のだ。
ところが、この多感な時期に大人に真剣に意見を聞いてもらえなかった子たちは大勢いる。そして、やがて、待ちくたびれた子たちは自己肯定感不足のまま大人になっていくのだ。
その結果、前回の「LINEと若者事情」を綴った本欄の記事でも指摘したが、彼らの多くが空気を読みすぎてしまい、その場を支配している誰かの意見に無条件に迎合するような行動を取ってしまうようになる。これが“習性”となってしまうちに、結果として彼らはこうなりがちだ。
「自分の意見を持つ自由を失う」
旧来の社会では、それでも十分、生きて行けた。いや、“滅私奉公”をわが使命とし、何も考えず、上の命令に忠実である働きアリのほうがむしろ歓迎されただろう。しかし、社会はすごいスピードで変わっており、従来の常識では対応できないことばかりだ。正解のない時代に求められるのは、自分の頭で考え、自分で決断を下し、行動できる強さだ。