なぜ8歳から人生を考え始めたのか
それにしてもなぜ岡田は、ジャニーズ入りより早い8歳の段階で、自分の人生を考え始めたのでしょうか。人生の転機を聞かれた時に、8歳での両親の離婚を挙げています。
「離婚会議をしている絵っていうのを、すっごい覚えてます。なんか家族で会議をしていて、覗いてたら『覗くな』って言われた絵と、親父が歩いてって『じゃあな』って俺に言って出ていった絵がしっかりと焼き付いてて。それをやっぱり鮮明に覚えてるかな(※8)」
父の不在は、岡田の男としての自覚を強くします。
「父親が突然、自分の目の前からいなくなったこともあって、乗り越えるべき存在というか、理想の大人像がなくなってしまったので、自分で見つけなきゃと思ったんです(※11)」
自分が失ったものの中に、自分の理想を見つける。デビューがすぐに決まっても、決して驕ることのなかった岡田の“幸福な努力”の日々は、“自分の理想の大人”に自分自身がなるための日々だったのかもしれません。
そして、父親がいなくなった後、家族3人で生きてきた岡田は、自分の人生で、後悔している発言として中学生の頃を振り返り、こんな話をしています。
「『自分が何を守るのか』というのを考え始めたのが阪神大震災の時。その時、自分が唯一発言したことで後悔したことがあって……。お姉ちゃんが泣き叫んでいる時に、『うるせえ』って言っちゃったんですよ。中3だったんですけど、てんぱっちゃって。人に言った言葉で、後にも先にもそれだけはとても後悔していて(※16)」
阪神・淡路大震災が起こったのは1995年の1月。その後、母が履歴書を送り、岡田がV6としてデビューするのは、同じ年の11月のことでした。
考えずに言ってしまった言葉。そのあとに訪れた転機。そして、その後悔をずっと忘れずにいた上での、それからの20年以上の思考と努力の日々。
考え続けることでのみ、人生は後悔しないものになるのかもしれません。
※1:「CUT」2005年1月号
※2:「読売新聞」2011年7月10日
※3:「TVガイドAlpha EPISODE A」(2016年11月)
※4:「TVガイド PERSON VOL.51」(2016年11月)
※5:「週刊SPA!」2015年8月25日号
※6:「AERA」2016年12月12日号
※7:J‐WAE『GROWING REED』2012年7月2日放送
※8:「CUT」2005年8月号
※9:岡田准一『オカダのはなし』(2014年1月、マガジンハウス)
※10:「婦人画報」2011年8月号
※11:「日刊スポーツ」2005年4月24日
※12:「ピクトアップ」2010年12月号
※13:「MORE」2010年2月号
※14:「日経エンタテインメント!」2010年11月号
※15:「ピクトアップ」2014年2月号
※16:「BARF OUT!」2016年12月号
※17:J‐WAVE『RADIO DONUTS』2017年8月26日放送
※18:「ピクトアップ」2016年4月号
※19:「週刊SPA!」2016年3月22・29日合併号
※20:「an・an」2015年11月18日号