「がんと違うから」周りには言えなかった
記者が取材で男性の自宅を訪ねたのは、出所から3年以上がたった、2017年の早春だった。事件の年から数えて、8度目の桜がもうすぐ咲こうとしていた。
長男の部屋は、畑で採れた野菜や生活用品の置き場になっていたが、ほとんどが事件当時のままだった。長男が暴れた際に殴って空けたドアの穴、姉からプレゼントされた色あせたポスター……。男性はその部屋に入るたびに思い出す。テレビや棚、布団の配置、長男が静かに寝ている時の頭の向きなどを。
事件当時、男性の妻は、長男の隣の部屋で眠っていた。気づいたのは息子が動かなくなった後だったが、夫を責めることはできなかった。「お父さんが罪を1人でかぶってくれたんです……」。取材中、絞り出すように言った。
居間には、長男が高校時代にソフトボール大会で受賞したトロフィーがあった。月命日の時などに、それを見て夫婦で思い出を語り合い、涙が止まらなくなることがある。
「周りには言えなかった。がんとか、そういう病気とは違うから」。男性は正座してうつむき、記者の前で何度も号泣した。「また会えるなら謝りたい。あの試合は一生分の親孝行だった。いい男だったんだよ。なのに病気が、あんなことをさせたんだよ」。
男性と一緒に、その年の桜を見た。息子の運転する車で、よく一緒に行ったという近くの神社。男性は、自分が作ったよもぎ団子を長男がおいしそうにほおばった思い出を、懐かしそうに語った。
精神障害の子どもを親が死なせる事件はなくならない
同年4月に記事が掲載された後も、記者は男性を幾度も訪ねた。
翌2018年の1月、首都圏に大雪が降った日に、男性から突然、電話がかかってきた。涙声だった。大阪府寝屋川市で、精神障害の娘(当時33歳)が両親によって自宅の小部屋に約15年間にわたって監禁され、栄養不足で死亡した事件をニュースで知ったという。
父親の通報で駆けつけた大阪府警の警察官が娘の遺体を確認した時、身長は1メートル45センチ、体重は19キログラムしかなかった。行政機関からも要支援の対象者として把握されていなかったという。家族は地域から「孤立」していた。男性の長男とは、精神障害にかかっていた期間も、亡くなった年齢も、ほぼ同じだった。
長期にわたって監禁し、死に至らせたのは許されることではない。しかし、男性は、自分が極限まで追い込まれた時の心情を、その両親に重ねないではいられなかった。
「暴れたら、人様に迷惑かけたら、どうしようって思ったんでしょう。それでも、自分たちの子だから、そばにおいておきたかったはず。つらいよなって、今、母ちゃんと話していた。だって同じだもん、うちと……」
精神障害の子どもを、親が死なせる事件は後を絶たない。そうした事件を知るたびに、男性は胸をかきむしられる思いだ。これ以上、同じような目に遭う人が出ないようにするには、どうすればいいのだろうと。