公共哲学は「私」と社会のかかわりを考える学問

私は公共哲学を専門としているが、まさに公共哲学とは、「私」が社会にいかにかかわるかを考える学問であるといえる。その視点からすると、デモは「私」が社会にかかわるための一つの方法として位置づけられるのだ。つまり、政治に問題があるような場合に、同じ不満を持つ人たちが集まって行進し、自分たちの意思を権力の側に伝える。そのための装置なのだ。

そんなふうにとらえると、より効果的なかかわり方を考えようとして、建設的になれるに違いない。現に最近のデモは、かなり建設的で精緻なものへと変貌しつつある。もはやそれは怒りに任せて破壊活動を行うような暴力的なものではなく、あくまで民主主義を言祝ぐお祭りのようなものへと変わりつつあるのだ。

だからこそ、女性や子どもも参加することができる。そして女性や子どもが参加すると、より注目を浴びるようになる。日本の脱原発のデモに、赤ちゃんを抱いたお母さんたちが参加していたのはその典型だ。将来世代のことを思い、若いお母さんも立ち上がったという強烈な印象を与えることになった。それと同時に、デモが決して暴力的なものでないことを証明するいい機会にもなった。

21世紀型デモのスタイルとは

その大きな転換点となったのは、2011年にアメリカ・ニューヨークで起こった「ウォール街占拠(Occupy Wall Street)」だろう。スローガンは“We are the 99%”。アメリカでは上位1%の富裕層が所有する資産が増加し続けており、デモではウォール街の金融機関などを標的に「1%の金持ちへの優遇をやめろ」と訴えた。つまり、99%の人々が1%の大金持ちにノーをつきつけたのだ。

あのとき人々は公園に集まっていたわけだが、アメリカでは街頭演説でマイクを使うと現行犯逮捕される恐れがある。このため参加者はさまざまな工夫をこらしていた。たとえば、伝言ゲームのようにしてスピーチを伝達する「人間マイクロフォン」というやり方は話題になった。古代ギリシアのアゴラさながらのやり方だ。

ハイテクツールが使える場合は、デモはさらにクオリティの高いものになる。最近のデモはSNSで呼びかけられることが多い。インターネットをうまく使って、世界中の支持者たちと連絡を取り合い、ネット上で効果的にメッセージを発信する。それが21世紀型のデモのスタイルだ。

台湾の国家に相当する立法院を学生たちが占拠したひまわり学生運動は、まさにそうしたハイテクの勝利であったといっても過言ではない。奇しくも台湾のこの学生運動もまた、中国の影響に対する反発に起因して生じたものだ。