なぜ人々はデモをするのか?

香港のデモが長引いている。ことの発端は、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする条例改正案への抗議だ。しかし、その背景には人権の弾圧を強める中国政府への本質的な反発が横たわっている。

6月16日、香港の金鐘(アドミラルティ)で行われた大規模デモの様子(撮影=的野弘路)

香港だけではない。欧米社会ではデモが頻繁に起こっている。記憶に新しいところでは、フランスの「黄色ベストデモ」が挙げられるだろう。マクロン政権の自動車燃料増税に反対する地方生活者が、ドライバーの安全確保用の黄色いベストを着て起こした抗議活動だ。日本も例外ではない。近年、憲法改正反対のデモや、秘密保護法案反対のデモが盛り上がりを見せた。

なぜ人々はデモをするのか? 一言でいうと、政治に不満があるからだ。民主主義国家の場合、もし政治に不満があるのなら、それは選挙時の投票行為によって意思表明すればよい。しかし、選挙は日常的に行われるものではない。そうなると、不満の表明は別の手段によって行うよりほかない。

その中でも一番手っ取り早く、現実的で、かつ効果的なのがデモなのだ。選挙と違って大がかりな準備はいらず、集まって行進すればいいだけだから手っ取り早い。また、革命などと違ってリスクは小さい。さらに、大人数が集まって行進するので、とにかく目立つ。ニュースとして取り上げられる可能性も高い。

社会に属しながら、自分のことしか考えないのはわがまま

デモとはデモンストレーションの略で、日本語だと示威行動などと訳される。大人数が行進することで、威力を示すことができるからだ。こんなに多くの人が怒ってるぞと。しかも集会と異なり、行進するので、動きが見える。いかにもこちらに向かってくるという印象を与えることができるのだ。先ほど革命とは違うと書いたが、行進の先にはどうしても革命がよぎるはずだ。だから権力はデモを恐れるのだ。実際、デモから革命につながった例はいくつもある。

そこで権力側も手をこまねいてはいない。危険だと思えば、デモを鎮圧するのだ。これがデモに負の印象を与える結果になる。デモは危険だとか、逮捕されるという印象だ。日本でもかつて学生運動が盛んだった頃、そうした衝突があった。だからデモにはあまりいいイメージがないのだろう。

しかし、多くのデモはそこまでいかない。特に最近のデモは、だいぶ変わってきている。デモはあくまで政治参加の一つの形態にすぎないととらえているのだろう。社会にかかわるのは、社会に属する成員の義務でもある。社会から恩恵を受けておきながら、自分のことしか考えないのは単なるわがままだからだ。