逆に「自分ができることで、若い人たちに足りないことは何だろう」と考え、そこを補ってあげるようにすれば、感謝されるし、自分もいい気分になれるのです。「尊敬してもらえるか」ではなく、「何をしてあげられるか」を考えるよう心がけるのです。
年をとれば自分が得意なこと、不得意なことはある程度わかります。だったら得意なことで若い人たちの役に立てばいいわけです。
私は最近、設立されたばかりの一般財団法人東京学校支援機構の理事長をお引き受けしました。そこで話し合われていることから、次のようなことを考えました。
今、小・中学校の先生たちはたくさんの業務を抱えて疲れています。中でも大変なのは、生徒の家庭からのクレーム対応だといわれます。
若さを保つため「新友」をつくる
この問題の解決のために、私は60~70代の方々に、週に何日かでもボランティアでサポートしていただけないかと考えています。クレーム対応には、20~30代の若い先生より、酸いも甘いも噛み分けた60~70代の人のほうが適任なのです。
別の理由もあります。若々しさを保つためには、新しい友達=「新友」をつくることが必要です。しかし自然に任せていると、年とともに付き合う人の数が少なくなり、世界がどんどん狭くなってしまいます。
「今さら自分をわかってくれる人を見つけるのは無理」とあきらめないで、意識して一歩踏み出し、新たな世界の扉を自ら開かなければいけません。それは今お話ししたボランティアなどでもいいと思うのです。
年をとると新しい世界に入ることに躊躇するようになりますが、新しい場に出ていき、会ったことのない人と知り合うことで、自分自身も必ず活性化します。
ただ、男性と女性を比べると、女性のほうが新しい世界に飛び込んでいきやすい特質を持っているように思います。それは女性の人間関係のほうがフラットにできているからではないでしょうか。
男性の場合、高齢になっても「この相手は自分より上か、下か」ということを気にしてしまいがちです。相手の年齢を気にして「敬語を使うべきかどうか」と悩みます。しかし、そういう余計なことを気にしていると、なかなか新しい世界には入れません。
とりわけ仕事で成功した男性、偉くなった男性は、尊敬されるのに慣れていて、自分が特に尊敬されない場にいると居心地が悪くなるようです。それは自意識過剰というものです。
そんな「自意識過剰組」に多いのですが、「『ぜひ来てくれ』と頼まれれば行ってもいい」というような「受け身」の姿勢でいるようでは、新しい環境にはなかなか入っていけません。