明晰な頭脳と併せ持つ繊細さ

政界で器の大きい人物の筆頭として田原さんがあげたのが、田中角栄元内閣総理大臣だ。田原さんが田中氏に最初に注目したのは、68年に発表された論文「都市政策大綱」だという。

元内閣総理大臣 田中角栄氏(時事通信フォト=写真)

「日本を1つの大きな都市に見立てて、全国に高速道路や新幹線などを整備していく。そして、地方の過疎問題を解消する一方、公害も解決し、全国を発展させるものでした。構想力は歴代総理のなかでナンバーワンです」

しかし76年、ロッキード事件で失脚。田原さんは5年後の81年、表舞台から姿を消した田中元首相にメディアとして初めて取材した。

「目白の田中邸に行くと、約束の時間を1時間過ぎても現れない。秘書に確認したところ、ぼくの過去の仕事の作品を一貫目(3.75キログラム)も用意させ、朝から読んでいるという。相手のことを徹底的に調べる緻密さ、繊細さに驚きました」と田原さんは振り返る。

田中角栄(たなか・かくえい)
【元内閣総理大臣】
1918~93年。二田尋常高等小学校卒業。16歳で上京する。そして45年の敗戦後に政界を志す。47年第23回総選挙で衆議院議員に初当選を果たす。自由民主党幹事長、郵政大臣、大蔵大臣などを歴任した後、72年に自民党総裁、内閣総理大臣となる。

失敗から謙虚に学ぶ政治家としての度量

「いまの政治家のなかで器が大きいのは安倍晋三内閣総理大臣(首相)じゃないでしょうか」と長谷川幸洋さん。

内閣総理大臣 安倍晋三氏(時事通信フォト=写真)

06年の第1次安倍政権が発足した際に協力要請を受け、政府税制調査会の委員となり、安倍首相を間近で見てきた。同政権は07年に倒れたが、12年に発足した第2次安倍政権では、失敗に学んだ教訓を活かしている点に、政治家・安倍首相の大きさを見る。

では、安倍首相はここから何を学んだのか。長谷川さんが続けて話す。

「『できないことは絶対にいわない。現実的にできることだけを、各方面と折り合いをつけながら、一歩でも二歩でも前に進めていく』ことです。そして、第2次安倍政権は着実に成果を挙げ、国民が評価するようになりました」

長谷川さんは第1次安倍政権が倒れた後の08年、自著『官僚との死闘七〇〇日』を出版した。「出来上がった本を安倍首相に見せたところ、パラパラとページをめくっただけで、一言『長谷川さん、誰かに聞かれたら、この本の内容は全部本当だといえばいいんですね』。本当に器が大きいなと思いました」と長谷川さんは話す。

安倍晋三(あべ・しんぞう)
【内閣総理大臣】
1954年~。成蹊大学法学部卒業後、神戸製鋼所に入社。82年外務大臣秘書官となり、93年の衆議院選挙で初当選。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、内閣官房長官などを経て、2006年第90代内閣総理大臣に。翌07年に辞任。12年第96代内閣総理大臣に就任。