ラフな格好が器の大きさを象徴

本田技研工業の創業者、本田宗一郎氏と取材で初めて会ったときのことを、田原さんはよく覚えている。アロハシャツとジーパンというラフな姿で現れたからだ。気さくで格好をつけないところは、本田氏の器の大きさを象徴している。そうした本田氏の現場での姿について田原が回想してくれた。

本田技研工業創業者 本田宗一郎氏(時事通信フォト=写真)

「社員に『いまやっている仕事以外に何を考えているか』を常に聞いて回っていました。何か考えていることがあれば、30分でも1時間でも耳を傾けます。これはいまでいう『ビジネスプロデュース』の取り組みそのものです」

そうしたビジネスプロデュースによって世に送り出されたのが、58年に発売されて世界的な大ヒットとなった小型バイクの「スーパーカブ」である。

本田氏は持ち前の反骨精神でも有名だ。ホンダが四輪車への参入を目指していた61年、通商産業省(現・経済産業省)は過当競争を抑えるため、四輪車への新規参入を認めない政策を打ち出した。本田氏はそれに強く反発、通産官僚と徹底抗戦して勝った。

本田宗一郎(ほんだ・そういちろう)
【本田技研工業創業者】
1906~91年。浜松高等工業専門学校卒業。48年本田技研工業を設立。49年オートバイ「ドリーム号」を発売。58年小型バイク「スーパーカブ」が大ヒット。国際レースなどで、日本のエンジンを世界的技術にまで高める。89年米国自動車殿堂入り。

国の統制を見事に打ち破った反骨精神

ヤマト運輸の小倉昌男氏も国と戦った。「小倉さんは官や権威に対し挑戦する反骨精神を持つ一方、人間としてかなり大きな器を併せ持った名経営者でした」と磯山友幸さんはいう。

ヤマト運輸元会長 小倉昌男氏(時事通信フォト=写真)

周知のように、「宅急便」は旧運輸省や旧郵政省との戦いを経て創出されたビジネスだ。磯山さんは、「小倉さんは正論をズバッと話す方でした。そして突破力があった。宅配便というサービスがなければ、現在のネット通販は存在しなかったでしょう」と話す。

小倉氏は晩年の93年、個人資産の大半を寄付して身体障害者を支援するヤマト福祉財団を設立。磯山さんは「日経ビジネスの記者時代に取材を申し込むと、『ヤマト福祉財団の理事長としてなら取材を受けるよ』といいます。福祉への理解を広めたい気持ちとともに、現役の経営者に配慮してヤマト運輸の経営について口出ししないという気遣いがあったのです」と懐かしむ。

小倉昌男(おぐら・まさお)
【ヤマト運輸元会長】
1924~2005年。東京大学経済学部卒業。48年大和運輸(現・ヤマト運輸)に入社。71年3月に社長に就任。76年「宅急便」の事業をスタート。93年6月会長に就任し、95年6月に退任。この間、93年9月にヤマト福祉財団を設立し、理事長に就任。