かつて日本は“技術大国”といわれたが、今や「GAFA」をはじめとする米国勢に大きく後れをとっている。なぜ日本企業はシリコンバレーで勝てないのか。同地でベンチャー企業を経営する加藤崇氏は「生き残りをかけた“舵切り”が不可欠だ」と指摘する――。

日本の製品で「世界をもう一度驚かす」

僕が単身渡米し、カリフォルニア州に小さなオフィスを借りたのは2015年のこと。東京大学情報システム工学研究室発のロボットベンチャー企業、SCHAFT(シャフト)で取締役CFOを務め、13年に同社を米グーグル本社に売却することに成功した後、日本のロボット技術をアメリカの市場に導入するために新たな会社を設立したのだ。

日本のハイテク製品を売って成功するには、アメリカで売れなければ話にならない。世界を日本の製品で、もう一度驚かす。それには、まずアメリカ人を驚かす必要があった。日本とアメリカの文化の違いに悪戦苦闘しながらも優秀な人材を集め、立ち上げた会社はフラクタ(Fracta, Inc.)。ロボットを使って経年劣化が激しいアメリカの水道管を点検し、破損の原因となる傷や厚みなどのデータを収集する事業をスタートさせた。

そして、18年5月31日には、世界の水処理大手企業である栗田工業からの全面的な資本出資を受け入れた。同社の水産業における世界的なブランドをテコに、強力な資金的バックアップを受けながら、協同して北米や欧州、アジアやアフリカといった全世界に事業を展開していく足場を作ることに成功したのだ。

地中の水道管の中を検査用ロボットが走行できるか、自ら確認する著者。この後、事業を人工知能による配管劣化分析ソフト開発に舵切り(ピボット)し、栗田工業とのタッグ結成を実現した(写真=日経BP社提供)

僕は米国カリフォルニア州の北部、サンフランシスコとサンノゼのちょうど真ん中に位置するレッドウッドシティのフラクタ本社で、自分の席に座ってコーヒーを飲みながら、PC上に表示されたプレスリリースをじっと眺めていた。目まぐるしく過ぎ去ったアメリカでの3年間の軌跡を振り返りつつ、安堵とも緊張とも言えぬ不思議な感覚に、身を委ねていたのだ。

その感覚は、「安穏とした将来への希望」などというものではなく、あくまで「まだ自分は、アメリカで生き残っているようだ」という事実の確認にすぎなかったように記憶している。

生き残りをかけ、もがいた3年間

ちょうど3年前、日本から配管点検ロボットの技術をアメリカに持ち込もうというもくろみで降り立った北カリフォルニア、シリコンバレーと呼ばれるエリアでの生活は、僕の人生を大きく変えることになった。一日一日、全ての気力と体力を使い果たしながら、たった1ミリメートルでも前進しようと、アスリートのような生活を送った。毎日この環境で生き残るために、フラクタのビジネスに全神経を集中させ、アドレナリンを爆発させて生きてきたのだ。

今となっては、当時どのような心境で、何を考えながら会社を運営していたかなんて、それがたった2、3年前のことであっても、遠い昔のようで、ほとんど思い出すこともできない。

しかし、幸いにも、2015年の秋に日経ビジネスオンラインから依頼をもらい、僕がアメリカで日々どのような課題に向き合っているのかについて書き記す機会をもらっていたのが良かった。16年4月から、毎月1回、コラムという形で5000~8000字近くの文章を書き、オンライン上に活動を記録することができたことで、当時の感情を最も新鮮な形で振り返ることができる。

こうした一連の記事をまとめ、書籍という形で(19年1月15日に)刊行したものが、新刊『クレイジーで行こう!』(日経BP社刊)ということになる。