シャフトが手放されたこともシリコンバレーの常
僕が初めてスタートアップの創業に深く関わり、最終的に日本人としては初めてグーグルに会社を売却することに成功したヒト型ロボット会社のことを振り返っても、あの当時(2012年、13年ごろ)、日本でこの会社を育てていくということは難しかったように思う。
大企業や中央官庁、ベンチャーキャピタルといわれる人たちは、「アメリカ的」イノベーションの何たるか、特にその入口を経験したことがなかった。そこにイノベーションの芽があったとして、それを育む、社会的、文化的な土壌が日本には無いように思えたからだ(一方で、ここ数年、そこには変化の兆しも見え始めている。本物と偽物をきちんと見分けなければならない)。
昨年末に、そのグーグルがヒト型ロボット事業を断念することに決めたことは残念だった(技術そのものの問題というよりも、ロボット事業の責任者の退職が背景にあったことは、彼らの無念を少しでも晴らすために申し添えたい)。しかしそれもまたシリコンバレーなのであり、そこに「ナイス・トライ」という言葉はあっても、後悔はない。
会社の成長に欠かせない「ピボット」
新刊を読んでいただければ分かるが、フラクタは、僕のヒト型ロボット企業時代の成功と信用を一気に傾けて、ロボット会社としてアメリカでスタートさせたものの、実際の(ロボット)ビジネスの進捗は惨たんたるものだった。僕たちは生き残りをかけて、石油産業からガス産業に向けて舵を切り、またガス産業から水道産業に舵を切った。
生き残りをかけたこうした舵切りのことを、スタートアップの世界では「ピボット」と呼ぶ。軸足を残しながら、もう片方の足を大きく旋回させ、体を全く違うところに着地させることで、元はバスケットボール用語だ。
シリコンバレーで出会った先達たちのアドバイスが、僕に軽やかなピボットを成功させ、やがてフラクタは「石油産業に向けた、配管点検ロボット企業」から、「水道産業に向けた、人工知能による配管の劣化分析ソフトウェア企業」に変わっていった。苦労の末のピボットの方向性は、どうやら正しかったようだ。徐々にアメリカで顧客数が増えていき、栗田工業の買収劇と相成ったのだ。
こうしてピボットを繰り返すうち、僕は「人工知能(=コンピューターによるパターン認識)」というソフトウエア技術が、未来の世界で果たす役割の大きさに気づいていった。ハードウエアとしてのロボットが、実際の社会生活に入り込むまでには、僕が予想したよりも遥かに多くの時間がかかるのかもしれない。