聞き上手で相手を引き込む達人

松下電器産業創業者 松下幸之助氏(時事通信フォト=写真)

PHP研究所や松下政経塾を創設した、松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助氏は、国のあり方を考え続けた代表的な経営者だと田原さんはいう。最初に取材したのは80年のこと。後継社長に山下俊彦取締役を25人抜きで大抜擢した人事が話題になり、人を見るポイントについて尋ねてみたそうだ。

「松下さんの答えは、頭のよさでも、健康でも、誠実さでもない。では、一体どこを見るのか。『難しい問題に直面したときに、悲観的に捉えず、おもしろがって前向きに取り組める人間を評価するのだ』といいました」

80歳で会長を退いた松下氏は、79年に松下政経塾を設立するが、その前に田原さんは請われて2回ほど政界の話を直接しに行った。「ぼくは当時40代で、松下さんは80歳を超える大経営者。時に驚き、相づちを打ちながら実に熱心に聞いてくれました」と田原さんは振り返る。

松下幸之助(まつした・こうのすけ)
【松下電器産業創業者】
1894~89年。9歳で単身大阪に出て、火鉢店や自転車店に奉公。大阪電灯(現・関西電力)勤務を経て、18年に松下電器器具製作所(後の松下電器産業、現・パナソニック)を創業。46年PHP研究所を創設。79年指導者の育成を目的に、松下政経塾を設立。

松下氏の思いを継ぐ改革派経営者

ウシオ電機会長 牛尾治朗氏(時事通信フォト=写真)

「ウシオ電機の牛尾治朗会長は、松下幸之助さんの最後のかばん持ちのような役割を果たした人です」と磯山さんは話す。牛尾氏は78年末から翌年の正月明けまで、東京都知事候補として時の人になったことがきっかけで松下氏から連絡を受け、次世代の政治家育成について話し合うようになり、松下政経塾の設立に協力した。

さらに、83年に発足した21世紀の新しい世界秩序を提言する機構「世界を考える京都座会」では、高坂正堯京大教授(当時)をはじめ錚々たるメンバーとともに基本委員に名を連ねた。座会では安全保障や外交政策、国家経営まで幅広いテーマが論じられた。

「いま経営者はどんどん小粒になって、自分や自社のことで精いっぱいになるなかで、牛尾さんは国のかたちや国家のありようなどを考えてきた人なのです」と磯山さんは評価する。

牛尾治朗(うしお・じろう)
【ウシオ電機会長】
1931年~。東京大学法学部卒業。東京銀行勤務、カリフォルニア大学大学院留学などを経て、64年にウシオ電機社長に就任。69年日本青年会議所会頭に。第2次臨時行政調査会の専門委員、内閣府の経済財政諮問会議議員を歴任。日本生産性本部の名誉会長も務める。