ユーザー側に立ったサービスをしたい

【梅田】私が大学生のときにグーグルが誕生して、使って本当に感動したんですよね。検索ボックスだけがあって、単語を入れるだけで世界中の情報にアクセスできるのはすごいなと。一方、社会人になってから使っていたシステムは、マニュアルを読んだり研修を受けないと使いこなせなかった。BtoBの世界もBtoCのように、ユーザーに寄り添って簡単に情報収集できる仕組みがあっていい。そう考えてサービスの開発を始めました。社名の「ユーザベース」も、まさにユーザー側に立ったサービスをしたいという思いで名づけています。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】でも、梅田さんはエンジニアじゃない。開発はどうしたの?

【梅田】ユーザベースの共同創業者で、高校の同級生だった稲垣裕介に相談しました。稲垣はイ、私はウで、高校のときにたまたま席が隣同士に。お互い友達がいなくて、なんとなく仲良くなり、それ以来の仲です。

【田原】稲垣さんは理系だったの?

【梅田】埼玉大学の工学部でした。卒業後はアビームコンサルティングに入社して、金融会社のデータベースをつくっていました。

【田原】システムはすぐ開発できた?

【梅田】当初、UBSの社内システムとして開発を考えていました。しかし、いろいろ調べていくと、UBSの社内だけにとどまらず、同じ問題を抱えている人たちがいると気付いたんです。そこで、多くの人が困っているなら起業してもっと広く提供しようと方針転換。稲垣も「俺1人でできそう」と言ってくれました。ところが、結果的には起業してもできあがらなかったんですが(笑)。

【田原】完成しないと大変じゃない。

【梅田】最終的に東京工業大学の学生だった竹内秀行という天才エンジニアをもう1人連れてきて開発しました。会社の立ち上げが2008年4月で、翌年5月に「SPEEDA(スピーダ)」をリリース。それまで約1年、何の収入もなくて大変でした。

【田原】08年はリーマンショックだ。起業のタイミングとしては最悪だったんじゃない?

【梅田】そうですね。VC(ベンチャーキャピタル)も投資を控えていたし、お客様候補の金融業界の人たちも、新しいサービスを導入する余裕がなくて、話を聞いてもらえませんでした。とにかくキャッシュを生まないと会社を続けられないので、SPEEDAのリリースも、じつは見切り発車。機能的に自分の理想には程遠かったのですが、背に腹は代えられず……。

【田原】最初は誰が買ってくれたの?