コンサル、外資証券の意外と非効率な働き方
【田原】梅田さんは米国のミシガン州でお生まれだそうですね。お父さんは米国で何を?
【梅田】父はデンソーの社員で、1980年くらいに米国にオフィスをオープンするときのメンバーでした。私は向こうで生まれて、1歳で帰国。5歳からまたデトロイトで生活していました。
【田原】英語は不自由しなかった?
【梅田】家では日本語でしたが、幼稚園や小学校は英語でした。日本人が少ない地域で、学校にいたアジア人は自分だけ。当時は寝言も英語だったそうです。
【田原】9歳のときに日本に戻られる。
【梅田】小学校3年生のときに愛知県岡崎市に帰ってきました。小学校に入ってまず感じたのは、日本はかっこいいなということでした。米国って学校におもちゃを持っていってもいいくらいに自由なんです。一方で、日本はみんな同じランドセルに同じジャージー。揃っているのが、なんかクールに見えて。
【田原】窮屈に感じなかったの?
【梅田】逆に日本のほうが自由なところもあるんです。米国は非常に大きいから、友達の家に遊びに行くにも親に送り迎えを頼まなくてはいけません。しかし、日本だと歩いて行ける距離に友達がいて、親に頼まなくてもふらっと遊びに行ける。帰国後半年で英語を忘れてしまうくらいに、すっかり日本に順応して楽しんでいました。
【田原】中学や高校ではどんな生活をしていたのですか。部活とか?
【梅田】小学校のころに野球を始めましたが、高校に入ってやめました。野球部は甲子園に行くほど強くないのに、練習は厳しく、土日や朝も部活があった。遊びたい気持ちが爆発して野球部はやめ、アルバイトをしたり、学校帰りにコンビニでたむろする毎日でした。
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