「資料集め」はコンサルの特殊な仕事だと思っていた

【梅田】自分自身がよくわかりました。自分は予定も何もない自由な状態がもっともクリエイティブになれるし、エネルギーも出せる。自由は、自分の今後の人生の中で重要なキーワードになると気づいて、帰国後は自由をテーマに就活しました。

梅田優祐●1981年、米国ミシガン州生まれ。横浜国立大学卒業後、コーポレイトディレクションに入社。その後、UBS証券を経て、08年に稲垣裕介氏らとともにユーザベースを設立。13年には「NewsPicks」のサービスを開始し、16年に東証マザーズに上場。

【田原】自由がテーマって、具体的にどんな就活をしたのですか?

【梅田】自由とは、自分で意思決定できるということ。働き方でいえば、組織に属さなくてもよかったり、仕事を自分で選べることが自由だと考えました。そのためにはプロフェッショナルになるのがいい。といっても私には弁護士や公認会計士になれる才能はありません。コンサルタントなら可能性があると思って、戦略コンサルティングファームのコーポレイトディレクション(CDI)に入社しました。

【田原】その会社ではどんなことを?

【梅田】資料集めです。最初にやったのは、国会図書館で化粧品業界に関する資料を集めてコピーし、それを段ボールに詰めて会社に持ち帰ってエクセルに打ち込む仕事。当時は有価証券報告書もPDFしかなくて、企業の決算書を分析するにも、まず資料を手で打ち込むところから始めなくてはいけませんでした。私は下っ端なので、ひたすらデータ収集と入力作業です。

【田原】それは大変そうだ。

【梅田】はい。私は細かい作業が苦手で、よく打ち間違えるんです。それで何度も最初からやり直ししていました……。

【田原】その後、外資系のUBS証券にお移りになる。なぜ転職を?

【梅田】CDIはやりがいがある会社でした。でも、プロフェッショナルになるには、自分に「グローバル」と「金融」の2つが欠けているという思いがありまして。でも、グローバルのほうはあまり伸びなかったですね。履歴書で帰国子女と書いたので英語のテストを受けることなく入社できたのですが、ほぼできなくなっていたので入ってからバレてしまい、英語の仕事はほとんど振ってもらえませんでした(笑)。

【田原】金融のほうは?

【梅田】UBSは企業が株式で資金調達するときのアドバイスをしていたので、知識は身についたと思います。ただ、やっていることは前と同じで、業界や企業のデータ集め。毎日夜中まで働いて、土日も出勤。ほとんどパンク寸前でした。

【田原】その苦労が起業につながったそうですね。どういうことですか?

【梅田】CDIのときは、資料集めはコンサル業界の特殊な仕事だと思っていました。しかし、UBSも同じで、非合理的、前近代的な労働集約型の仕事が根強く残っていた。まず、この世界を変えたいというのが出発点です。

【田原】具体的にどう変えようと?