江戸時代に栄えた伝統芸能「講談」の歴史を変えようという男がいる。講談界の新星・神田松之丞、35歳だ。講談師は一時22人まで人数を減らして演芸界の“絶滅危惧職”とまでいわれたが、松之丞の登場でふたたび脚光が当たり、入門者が殺到している。いまやもっともチケットが取りにくい芸人の1人で、2020年2月には9人抜きで真打ち昇進も決まっている。なぜ人々は松之丞の芸に魅了されるのか。札止めになった独演会の楽屋に、田原総一朗が直撃した――。

鳥肌が立った、立川談志の高座

【田原】今日は公演の合間にお時間をいただきありがとうございます。早速ですが、松之丞さんは池袋のお生まれ。高校生のころ、ラジオで落語を聴いて感銘を受けたそうですね。

講談師 神田松之丞氏

【神田】三遊亭圓生師匠の『御神酒徳利』をラジオで聴いて衝撃を受けたんです。僕はテレビ世代で、視覚に頼る文化で育ってきました。ところが圓生師匠の落語は45分、音だけで引きこまれた。これはすごいなと。

【田原】ラジオで聴いたことが大きかったのかもしれないね。

【神田】ラジオは中学生のころから、なんとなく聴いていました。音を聴くだけで想像する世界が面白かったんでしょう。その中でも特に興味を引かれたのが落語でした。想像する芸、余白のある芸に魅力を感じましたね。

【田原】浪人時代に立川談志さんの落語に出合って、さらにのめりこむ。

【神田】談志師匠がまだお元気なころ、所沢のミューズというホールで高座があって、ナマで触れたんです。これが本当に素晴らしくて。なんというか、見ちゃいけないものを見たという感じがありました。

【田原】見ちゃいけないもの?

【神田】談志師匠は本で「鳥肌が立つのが良い芸だ」と書いていました。本来は「粟立つ」と言ったほうが正しいのかもしれませんが、そのときの僕は聴いているうちに鳥肌が立ってきて、帰り道の10~15分も、それが収まらなかった。そんな経験をした高座はそれまでなかったですし、今後もないとそのときに思いました。

【田原】なんでそう感じたんだろう。