【田原】どんな育て方を?

【神田】個を摘まないで、好きにやらせてくれます。あと、技術はあとからついてくるから、記憶力がいい若いうちにネタを覚えろという方針も納得でした。

どうして松之丞さんの講談がウケたのか

【田原】さて、弟子入りして前座になった。どうでしたか?

【神田】向いてなかったですねー。やる気はあって相手に一生懸命尽くそうとするのですが、どうも人に気を使う能力が足りないみたいで。田原さんのテレビのAD時代はどうだったんですか?

【田原】ADのころは何度も怒られたよ。僕は気が利かないから。松之丞さんも相当絞られたでしょう?

【神田】それがそうでもなくて。楽屋にいる人間は前座をやってきたから苦労がわかっていて、僕が何より講談や落語が好きだということをみんな知っている、だからまあいいやと許されているところはありました。

【田原】前座も高座にあがるんですよね。お客は笑ってくれますか?

【神田】前座は開口一番、明るい話をしてお客さんを温めるのが普通です。でも、うちの師匠は人殺しの話ばっかり教えるんですよ(笑)。でも、鍛えられましたね。前座は何分やるのか毎日違います。「今日は5分で降りろ」と言われたら、本来30分あるネタを5分でやらないといけない。どこをどう編集したらお客にウケるのかと工夫を重ねていくことが、高座の技術につながっていきます。

【田原】前座は4年間。向いてないのに、よくやめなかったですね。

【神田】4年経つと誰でも二ツ目になれるという旗がついていたことがよかったですね。前座ではダメだったけれど、二ツ目になって自分のやりたいことをやれば評価は絶対にひっくり返ると思っていました。

【田原】実際に二ツ目になってブームを起こした。どうして松之丞さんの講談がウケたんですか?

【神田】予備知識なく聴けたことが大きかったんでしょう。講談はちょっと難しくて、初めて来た人に、自分にはまだ早かったと感じさせるところがあります。たとえば講談師は「天保の時代の物語です」と入りますが、普通の人は「天保っていつだよ」と。だから僕は「西暦でいうと1830年ごろでございましょう。当時はこのような背景がありまして」と、ギリギリ野暮にならないところでさりげなく補足する。

【田原】テレビも同じですよ。キャスターは専門用語を多用するけど、それじゃ視聴者はついてこない。

【神田】たとえば忠臣蔵も、「元禄の時代は1700年ごろ。前の戦といえば関ヶ原や大坂冬の陣夏の陣で、寿命からいっても誰も戦をしたことがない時代であります。とすると、侍が形骸化していたといえるでしょう。そんな時代に起きたのが忠臣蔵だ」と入れると、なぜ忠臣蔵が人々から喝采を浴びたのかが見えてくる。そうした背景を知っているかどうかで、講談を聴くときの集中力が違ってきます。