人生を決める、師匠の選び方

【田原】卒業して芸人になるわけですが、感動した立川談志の落語じゃなくて、講談師の神田松鯉(しょうり)さんに弟子入りした。当時、落語家は800人いたのに対して、講談師は数十人。著書で「絶滅危惧職」と書いていたけど、なぜ講談を選んだのですか?

【神田】落語の魅力をわかっている人は大勢いたのに、講談は過小評価されていて、このままでは終わるという危機感がありました。そのころの講談は新規のお客様が非常に少なくて、ほかのお客様も年配の方ばかり。たまに新しいお客が来ても、常連客に引いてしまう世界でした。当時の講談に必要なのは、伝統芸能を重んじる人より、野暮なやつ。野暮でもいいから世界を広げるやつがいないと、結局、文化としても終わってしまう。生意気にも、そういう講談師が欲しいと客観的に思ったんです。

【田原】基本的な質問をさせてください。講談と落語の違いは何ですか? 落語はフィクションで、講談はノンフィクション?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【神田】講談も脚色が多いので厳密にはノンフィクションじゃないのですが、そもそもの精神性が違います。落語はいろんなものをどっかから借りてきてやっていますが、忠臣蔵は落語にはありません。それはどうしてか。談志師匠の受け売りですが、赤穂浪士は300人いましたが、250人が逃げて、残りの47人が討ち入りした。講談は「この47人は忠義の士であり、素晴らしいじゃないか」と褒める芸。それに対して落語は人間の弱さを肯定する芸。そうした精神性がまるっきり違いますね。

【田原】松之丞さんは褒める芸が好きなの?

【神田】僕が子どもだった1980年代は、真面目に生きるのは野暮で、コツコツやっているやつを茶化す風潮がありましたよね。でも、自分は真面目にやるのもいいのに、と思っていました。最近は若い人が真面目にやることに照れがなくなってきた。そういう意味では、僕だけじゃなく、いまは世間に講談が受け入れられやすい時代になったんじゃないですか。

【田原】話を戻します。師匠として神田松鯉さんを選ばれたのはどうしてですか?

【神田】談志師匠は突き落とされるような芸でしたが、うちの師匠は毎日の歯磨きやシャワーと同じで、日課で毎日聴いていたい、ぽかぽかする太陽みたいな芸で、単純に面白いんです。しかも確かな技術があって、読み物も500以上持っている。さらにプレーヤーとして優秀なだけじゃなく、個性がバラバラの弟子をたくさん育てていて、育成する力もすごいんです。