「令」という字に安倍首相の驕りが透けている
「令和という新元号自体には異論はない」と書いたが、「令」という言葉には違和感もある。「よい」という意味合いよりも、上からの指示という意味を強く感じるからだ。701年に制定された日本古来の法律「大宝律令」の「令」でもある。安倍政権が国益ありきで、国民を従わせようとしているとも受け取れる。
これまで沙鴎一歩は、もり・かけ問題などを通じて、「安倍首相は驕りを慎むべきだ」と繰り返してきた。しかしその驕りが、ついに改元にまで出てしまった。
新元号を検討した懇談会メンバーは、その点をどう考えたのだろうか。京大教授の山中伸弥氏や作家の林真理子氏などは、首相官邸から出て来た際、新元号を褒めるばかりで批判的な言葉は皆無だった。何のための懇談会だったのだろうか。単なるアリバイ作りにすぎなかった。
なぜ小渕氏は「平成おじさん」と親しまれたのか
平成の改元では、小渕恵三官房長官(当時)が墨書を掲げ、「平成おじさん」として一躍、若い世代の間で有名になり、その後首相に就任した。
今回も菅官房長官が「令和」の墨書を掲げて記者会見したが、その直後に安倍首相が登場した。その記者会見では「『平成』を発表した当時とは時代が変わり、首相自らが記者会見することが一般的になっている」といった趣旨のことを語っていた。
結局、安倍首相は自らを宣伝したいのである。「令和」を決定した首相として歴史に名を残したいのだ。驕りに対する反省など、これっぽっちもない。これでは小渕氏のような「令和おじさん」にはとてもなれないだろう。
負の側面を「美しさ」で消し去ろうとしている
安倍首相は記者会見で、「『令和』には人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている。(万葉集は)わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と語った。
「美しく心を寄せ合う」や「豊かな国民文化」という言葉自体は問題ない。問題は安倍首相自身が心の底からそう思っているかどうかなのである。
続けて「文化を育み、自然の美しさをめでることができる、平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様とともに切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしている」とも述べた。
「美しさ」という言葉が目に付く。元号の改元によって日本が一新されたことを示し、安倍政権の持つ負の側面をすべて消し去ろうとしているかのように思えてならない。