九九は1年生で覚えても、3年生で覚えてもいい

人それぞれ、学びの進度は異なっています。だから、その一人ひとりの学びにしっかり寄り添う必要があるのです。2年生で九九を覚えられなかったからと言って、不必要にあせらせたり劣等感を抱かせたりする必要なんてありません。3年生や4年生でマスターできれば、それで問題はないのです。ちゃんとものにできれば、人より少し遅れていたって、その後ぐっと挽回できることだってあります。むしろ、分からないまま授業が進んでしまい、取り残されてしまうほうが問題です。

その逆に、九九を1年生でマスターしてしまったって何の問題もありません。小学生にして中学3年生の数学を理解できる子だってたくさんいます。学びの進度を、誰も彼も統一しようとするほうが、やっぱり無理があるのです。

「みんなで同じことを、同じペースで」の授業では、とりあえず授業は進んでいるものの、すべての子どもたちに、本当の意味で学力を保障することは残念ながら非常に困難です。繰り返し言ってきたように、必ず一定数の子が、勉強についていけず「落ちこぼれ」てしまうからです。これは構造的な問題なのです。

テストはあくまでも「学習状況を確認するツール」

先生からすれば、「とりあえず授業はやった」という安心感はあるかもしれません。でもそのことと、すべての子どもの学力を保障することとは、本来別の問題なのです。

だからこそ、これからの学校は、学びをもっと個別化し、一人ひとりのペースに合わせて学力を保障する必要があるのです。

そんなわけで、テストもまた当然個別化するべきです。

たとえば、単元ごとのテストを用意して、子どもたちは「そろそろこのテストをやってみよう」とトライする。十分な理解ができていなければ、何度でもトライし直せる。重要なのは、その単元なり内容なりを修得することだからです。自分のペースでテストを受け、自分の到達度を確認し、次のステップへと進んでいく。テストは、その学習状況を確認するためのツールにすぎないのです。

一斉のテストや、その結果による序列化の発想から、わたしたちはそろそろ脱却する必要があります。繰り返しますが、義務教育においては、テストは子どもたちの進捗具合や到達度を把握するためにあるのであって、序列化や競争を促すためにあるわけではないのです。