※本稿は、苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出新書)の一部を再編集したものです。
「総合的な学習」の形骸化
今後、“国”は「探究」をカリキュラムの中核にしていく方向性をはっきりと打ち出しているように見えます。出来合いの答えばかり勉強するのではなく、自分(たち)なりの問いを立て、自分(たち)なりの仕方で、自分(たち)なりの答えにたどり着く、そんな「探究型の学び」を中心とした学びです。でも、その方針が“学校現場”とはまだまだ大きな乖離があるのも事実です。次のような反発も、きっと起こることと思います。
よく聞かれるのが、「総合的な学習」も、結局は失敗だったじゃないか、という批判です。「活動あって学びなし」になっているとか、「なんちゃって総合」になっているとか、ひどい場合には、学校行事の準備にあてられて機能していないとか言われます。
確かに、そういう面はあると思います。「総合的な学習」の形骸化にはわたしもよく出くわします。先生はしっかりやっているつもりでも、実は子どもたちを先生のシナリオ通りに動かしてしまっているような「総合」もたくさんあります。
成功した「総合」の事例から学ぶ
でも、だからと言って「総合」は失敗だったと結論づけて、「決められたことを決められた通りに」の教育へと舞い戻ることが「よい」ことと言えるでしょうか?
こうした議論の際に欠けているのは、むしろ“成功”した事例への言及です。そしてそこから学ぼうとする姿勢です。わたしたちは、うまくいかない事例があると、「だからこれはダメなんだ」とすぐに「一般化のワナ」に陥ってしまいがちですが、「総合」は始まってすでに20年近くが経つものです。この間に、大きな成果を上げた実践はたくさんあるのです。
ならば、そうした事例に学ばない手はありません。それら数多くの事例について一つひとつ論じることはできませんが、いくつかご紹介しておきますので、ご興味のある方は実際に調べていただければ嬉しく思います。
たとえば、長野県の伊那市立伊那小学校は、総合的な学習の先進事例として有名な学校です。ヤギやヒツジ、ニワトリなどの生き物の飼育が特に有名ですが、木工や料理など、その他の活動も盛んです。