「驚異的な記憶力」を持つ人の苦しみ
経験したことをすべて記憶し、正確に思い出せる人と比較することで、記憶が書き換えられることにどのような意味があるのかを知ることができます。
経験したことの詳細まで長期間、記憶できる超記憶力を持つ人は世の中に少なからずいます。神経心理学者であるルリヤ博士が報告したシィーと呼ばれる男性は、これまでに報告されてきた超記憶力の持ち主の中でも、特に優れた記憶力を持ち、記憶できる量に際限がありませんでした。彼は、70以上の単語や数字を一度みただけで正しい順序ですべて記憶できただけでなく、10年後、16年後もその情報を正確に思い出すことができました。
ルリヤ博士はシィーの驚異的な記憶と、その背景にある原因を明らかにするだけでなく、そのような驚異的な記憶が人生にいかなる影響を及ぼすのかについても記録を残しました。シィーは、忘れるために紙に書き出して丸めてゴミ箱に捨てたり燃やしたりするほど、情報を忘れられずに苦しんでいました。
記憶は「正確に情報を記録」するものではない
また、私たちは複数の情報の特徴をまとめたり、抽象化したりすることが容易にできます。しかし、このような抽象化やカテゴリー化は私たちの記憶があいまいだから可能なのです。
シィーはあまりにも情報が鮮明に記憶として保持されるので、複数の情報をまとめたり、共通する情報を取り出したりすることができませんでした。会話でも、事柄の細部や副次的な情報の追憶にとらわれ、その内容は果てしないほど脱線したそうです。さらに、頭の中で形成される記憶のイメージが鮮明すぎて、空想と現実の区別がつかず、頭の中の鮮明な像が現実と一致しないために、必要な行動をとれないこともありました。正確で驚異的な記憶の持ち主の人生は、バラ色の人生と言えるものではなかったのです。
記憶力が維持されている若い世代においても記憶は書き換えられ、正確な記憶の持ち主が普通の生活すらままならないことは、私たちの記憶が正確に情報を記録するためのものではないことを示しています。
神戸大学大学院 人間発達環境学研究科 准教授
1977年、大阪府生まれ。2005年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員、大阪大学大学院人間科学研究科助教、島根大学法文学部講師を経て、2011年神戸大学に着任。スタンフォード大学長寿センター客員研究員。専門分野は、高齢者心理学、認知心理学、神経心理学。