「100%の安心・安全」というありえない物語

ふつう現役の医者は、医療の限界や闇の部分を語ろうとしません。それは医者自身が自己否定を恐れるからです。われわれが沈黙を守り続けた結果、何が起きたか。医療に対する世間の期待値が、おそろしいくらい高くなってしまったのです。

作家・医師 久坂部 羊氏

医者も人間ですから、試行錯誤を繰り返すなかで「自分のやっていることは全部正しい」という建前を信じていない限り前へ進むことはできません。結果的に医者は世間の高すぎる期待に応えるために無理をし、場合によっては事実を誤魔化しながら治療行為に当たっているのです。

今の日本の医療は、医療者側のそうした欺瞞と、「100%の安心・安全」というありえない物語を求める世間とがつくりあげた、共同幻想のうえに成り立っています。

そのとき、もし治療が失敗に終わったらどうなるか。患者は期待を裏切られたという失望感や、医者への怒りの感情にとらわれてしまう。非常に不健全で残念なことだと言わなければなりません。そのことが最も端的に表れるのが、がん治療の場面でしょう。

患者はありもしない「正解」を求める

がん治療はいまだに「やってみなければわからない」という側面が強い。実際、医者自身ががんで倒れているのですよ。医療者ですら自分の身体のなかでがんが育っていることに気づかないし、治療に失敗することがある。これが現実です。

ところが、医療への共同幻想のなかで、患者はありもしない「正解」を求め、医者はメンツにかけて、その正解があるフリをし続けます。

契約社会の米国のように、がんの告知を含めて、よしあしを問わずすべての事実を開示するルールを医者と患者の双方が受け入れることができれば、少しは風通しがよくなるでしょう。しかし、そうなったとしても、医療に正解はない、という事実だけは変わりません。正解がないなかで、医者は自らの裁量により、それぞれが正しいと信じる道を選択します。同じがん、同じ病期でも、医者によって最善とする治療法が異なるのはそのためです。