※本稿は、増本康平『老いと記憶 加齢で得るもの、失うもの』(中公新書)の一部を再編集したものです。
なぜ「起こっていないこと」を「起こった」と信じるか
以前、同窓会で同級生たちと修学旅行の話で盛り上がったことがあります。私は風邪をひいて、その修学旅行に参加できなかったのですが、ちょっとしたいたずら心で、あの時はこうだった、ああだった、と、さもその時に一緒にいたように相槌を適当に打ったりして会話に参加していました。
同級生たちは私の言動も気にならないようで、自然に受け入れていたのですが、その後に私がその修学旅行に参加していないとネタバラシをしても、まったく受け入れてくれません。私は確実に参加していないのですが、実際には起こっていないことを起こったと信じて疑わないのです。なぜ、そのような現象が生じるのでしょうか。
これまでの記憶に関する認知心理学研究は、私たちの記憶は驚くほどあてにならず、あいまいで、時には本人も気がつかないうちに偽の記憶を作り出すことを実証してきました。
あなたが今読んでいるページを写真のように記憶できるのは数ミリ秒(1ミリ秒=1000分の1秒)、聞こえる音をそのままの音として記憶できるのは数秒程度です。物理的に存在する情報をそっくりそのまま記憶できる期間はあまりにも短く、すべての情報を覚えることは驚異的な記憶の持ち主でもない限り不可能です。そのため、覚えたい情報のみを取り出し、その情報には何らかの意味づけを行う必要があります。また、意味づけられた情報も時間とともに詳細が思い出せなくなり、大まかな粗筋だけが残ります。
見ていないはずのを“ガラス”を「見た」という
偽りの記憶(虚偽記憶)研究の第一人者であるロフタス博士は、私たちがどれほど都合よく記憶を変容させるかを実験によって鮮やかに示しています。
彼女の実験では、参加者に交通事故のビデオをみてもらいました。その後、一つのグループには「車がぶつかった(hit)時のスピードはどれくらいでしたか?」と尋ね、別のグループには「車が激突した(smashed)時のスピードはどれくらいでしたか?」と尋ねました。
激突したという言葉で聞かれたグループは平均で時速10.46マイル=時速16.83キロメートルだったのに対して、ぶつかったという言葉で聞かれたグループは、平均で時速8マイル=12.87キロメートルと回答し、同じビデオをみていたのに聞き方を変えただけでスピードの評価には統計的に有意な差がみられました。
また、この実験の一週間後、参加者に対して、一週間前にみた事故のビデオで、「割れたガラスをみたかどうか」を尋ねたところ(実際には割れたガラスは存在しませんでしたが)、激突したという言葉で尋ねられたグループでは、ガラスをみたという回答の割合が高まりました。