シンドラーがあってこそ、ベートーヴェンは有名になった?
シンドラーは、ベートーヴェンの本性をたしかに目撃していた。そして、それを衆目から隠そうとした。見るに堪えないものを見るのは自分ただひとりでいい。そう思っていたのかもしれない。
シンドラーの改竄事件の発覚は、1970年代後半以降のポスト・モダンの風潮とあいまって、ベートーヴェンのイメージ受容に大きな変化をもたらした。シンドラーの書いた伝記のようにベートーヴェンを大きな物語として語ることはダサいと見る向きが強くなってきた。
しかし、二十世紀も終わりに近づき、ポスト・モダン思想のピークアウトが見えはじめると、ポスト・モダンは結局のところ近代に敗北したのではないかという声が出てくる。世の中では大河的なベートーヴェン像が主流で、専門家やオタクはさておくとして、一般人はみな『交響曲第五番』を「運命」と呼び続けているじゃないか、という声である。
揺り戻しのように、シンドラーの業績を擁護する意見もあらわれだした。これほどまでにベートーヴェンの作品が超有名になったのは、シンドラーの『ベートーヴェン伝』があってこそではないか、というのである。
いつの世も、名プロデューサーは嘘をつく
不朽のベートーヴェン伝説を生み出した、音楽史上屈指の功労者。それがシンドラーの正体だ。音楽ビジネスの世界で生きた男に対して、嘘つきとか食わせ物とか、そんな文句こそが野暮ったいのではないか。いつの世も、名プロデューサーは嘘をつく。
音楽史に大きな爪跡を残したシンドラーの功罪。嘘も、シンドラー自身も、決して一筋縄ではいかない、アンビバレントで混沌とした思想や感情の総体だ。あらゆる嘘や人間がそうであるように。
1982年、東京郊外生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。音楽関連企業に勤めるかたわら、音楽家に関する小説や考察を手がける。本書が初の単著。