年末の風物詩『第九』の大合唱。世界中で親しまれる名曲だが、実は、その作曲者・ベートーヴェンにまつわるエピソードには疑わしい点が多い。伝記に書かれている挿話のいくつかは、“耳の病を乗り越えて『運命』や『第九』を作曲した偉人”というイメージを強化するためのフィクションではないか。研究者の間でささやかれていたその疑惑が確信に変わったきっかけは、20世紀後半から本格化した「会話帳」研究だった――。

※本稿は、かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Bastiaan Slabbers)

そもそも『第九』とはどのような曲なのか

『交響曲第九番』――今日では、クラシック音楽の代名詞として語られることの多い作品だ。ベートーヴェンが作った最後の交響曲で、クライマックスである第四楽章にオーケストラ、ソリスト、合唱団全員での合唱をともなう大作である。

謎めいた和音で幕を開ける第一楽章。速いスピードで疾走するスリル満点の第二楽章。うってかわって、ゆったりとした美しい曲調を奏でる第三楽章。そして、それまでの演奏を強い衝動でもって一緒くたに否定し、人類の喜びを歌い上げる第四楽章。フリードリヒ・シラーの詩『歓喜に寄す』を用いたこの有名な第四楽章はプロからアマチュアまで幅広く歌われており、日本でも演奏を聴く機会は多い。

有名音楽家に関する新事実

世界中で親しまれる名曲『第九』だが、実は、その作曲者・ベートーヴェンにまつわるエピソードには疑わしい点が多い。伝記に書かれている挿話のいくつかは、“耳の病を乗り越えて『運命』や『第九』を作曲した偉人”というイメージを強化するためのフィクションにすぎないのではないか。

かねてから研究者の間でささやかれていたその疑惑が確信に変わったきっかけは、20世紀後半から本格化した「会話帳」研究であった。会話帳とは、聴覚を失ったベートーヴェンが、家族や友人、仕事仲間とコミュニケーションを取るために使っていた筆談用のノートのことで、ベートーヴェンの暮らしぶりや人となりを知るための重要な一次資料となっている。

しかし1977年の国際ベートーヴェン学会で、会話帳研究チームから、それまでのベートーヴェン伝が覆される新事実が発表される。会話帳のなかに、ベートーヴェンの死後、故意に言葉が書き足されている形跡を発見したというのだ。

ベートーヴェンとの「会話」を改竄した秘書

その犯人の名は、アントン・フェリックス・シンドラー。ベートーヴェンの晩年に、音楽活動や日常生活の補佐役をつとめていた人物だ。1827年にベートーヴェンが亡くなったのち文筆活動に目覚め、1840年から1860年にかけて、全部で3バージョンの『ベートーヴェン伝』を書いている。

伝記というものは、おのずと書き手の性格やポリシーをあぶり出す。シンドラーの場合は、著者であると同時に、「ベートーヴェンの秘書」という伝記上のいち登場人物であるのでなおさらだ。

彼の自己描写にはどうにも誇張ぎみなところがあった。自らをベートーヴェンに献身する「無給の秘書」として描く一方で、ベートーヴェンの家族やほかの側近たちのことは、音楽家の人生をおびやかす俗物であるかのように悪しざまに書いている。うさん臭いと言わざるをえない。