ベッカム選手を日本に紹介
日本でベッカム選手の人気に火が付いたのは、時の巡り合わせでした。日韓ワールドカップがあった2002年4月、リーグ戦の試合中に、ベッカム選手が足を骨折するアクシデントが起こりました。
ちょうど私もその試合を観に行って、その様子を撮影していました。スター選手が担架で運ばれていく間、会場は騒然。翌朝のロンドンのタブロイド紙には、ベッカム選手の足型の写真が大きく掲載され、「彼がプレイできるように、みんなで祈ろう!」といった主旨の見出しが躍りました。
数週間後のワールドカップに彼が出場できるのか。ブレア首相(当時)までコメントして、イギリス中の注目を集めていました。彼のスター性にますます可能性を感じた私は、日本テレビの本社に電話をして、すぐにリポートできるネタとしてプレゼンしたのです。
ポイントはこの、「すぐにリポートできる」ということ。相手が物事をスピーディーに進めやすいように準備をしておくことが、機を逃さず、素早い判断を促します。私は、それまでコツコツと試合に通っては集めていた映像や、視聴者の興味を刺激しそうなエピソードが、もう十分にたまっていることを伝えました。
「それ、面白いね。すぐ出せる? じゃ、送って!」ということで、早速、素材を送ってみると大好評。放送中の視聴率もよかったようで、「また次の素材を送ってよ」といったリクエストが絶えず、出せば出すほど、さらに注目が高まるような状態になったのです。
「私にしかできない仕事」をつくり出せた
「ベッカム選手は視聴率が取れる」と判断した本社からは、レアル・マドリードへの移籍会見や、アジアツアーなどの大事なシーンの取材には「小西さん、行ってきて」と声がかかるようになりました。ほかの人が注目していなかったニッチなネタだからこそ、「私だけの仕事」になったのです。
その後も、ベッカム選手に関する自社のニュースは、ほぼすべて私が担当しましたし、「自称・ベッカム番」として8カ国の取材にも行かせてもらえました。そのうちの北京やバンコクには、同系列の支局があって特派員もいましたが、「ベッカム選手の取材だから」という理由だけで、ロンドンにいる私が指名されるようになったのです。
本流の仕事で順番が回ってこなくてくすぶっていたからこそ、練り出した苦肉の策によって、念願だった「私にしかできない仕事」をつくり出せました。
挑むことを止めずに行動し続けると、いつかチャンスが巡ってくる。
私はこの言葉を、きれいごとではなく、実体験として語れます。
日本テレビ キャスター・解説委員
1969年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学文学部卒。1992年読売テレビに入社。報道記者として阪神・淡路大震災などを取材。2001年から3年間、ロンドン特派員。帰国後、政治部記者を経て、2006年日本テレビ入社。報道キャスターに。「ズームイン!!サタデー」「深層NEWS」などに出演。現在は夕方の報道番組「news every.」に出演中。著書に『3秒で心をつかみ 10分で信頼させる 聞き方・話し方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。インスタグラム mihokonisi69