「なぜ沖縄人を見殺しにした内地の兵隊の収骨をするのか」
そして国吉氏の活動は沖縄社会大半の価値観に逆行するものであるため、証言を通して沖縄社会の傾向を逆説的に推察することが可能である。例えば、国吉氏は収容活動を終えた後、地域住民から「なぜ沖縄人を見殺しにした内地の兵隊の収骨をするのか」と詰問されたことがあるという。
沖縄戦時、日本兵は沖縄の住民を保護するどころか、軍用の壕を確保するために住民を元いた壕から追い出した。そのため壕から出る遺骨・遺品の多くは地域住民のものではなく、彼らを追い出した日本兵のものである。さらに住民の米軍への投降を厳禁、自決を強要した。そんな日本兵の遺骨・遺品を貴重に思うこと自体、沖縄県民にとっては受け入れがたいことなのである。
体験談を重視し、遺品の記憶が失われつつある
国吉氏からのヒアリングは沖縄戦の継承に重要な役割を果たすものである。しかし、このヒアリングに残された期間は長くない。昨年、私が集中的なヒアリングを始めた頃は、遺品に関しての国吉氏の記憶は鮮明で揺らぎなかった。しかし、今年に入り、その鮮明さに陰りが出てきた。同じ遺品について、日によって別のことを話すのだ。
例えば、ある日「壕の中央付近に埋まっていた」と話していた遺品について、別の日に「壕の奥の地面に散らばっていた」と話す、ということもしばしばある。一部の思い入れの強い遺品に対しての記憶は維持されているが、大量に出土した遺品の一つや、何度も入った壕の遺品に関しては記憶が薄らぎつつある。
戦争記憶の継承における遺品の強みは永続性と信頼性である。遺品の形状や出土した場所などの事実は経時と共に色あせるものではない。そのため遺品の暗示する地上戦の記憶には永遠性がある。
沖縄は元来、戦争体験談を通した戦争の記憶継承に傾注してきた。戦争体験者の証言を枢要に据える沖縄県史や沖縄県平和祈念資料館の展示は、そのような沖縄の姿勢を顕著に反映している。体験談の重視は、先述した理由で遺品が記憶継承の主流な媒体になり得なかったことに加え、沖縄の人々の生身の語りの方が民間人を非人間化する地上戦の凄惨性を直感的に伝えられることによる。