体験談は否定できても、遺品は「動かぬ証拠」になる

しかし、語り部の高齢化と共に、体験談を以前のような規模・正確性で続けることは難しくなってきている。さらに体験談の真実性を証明することは非常に難しく、話し手による無意識の創作が混ざっていることも考えられる。他方で、仮に真実だったとしても、悪意ある聞き手の歴史修正主義的懐疑によってその真実性を否定されることもあり得る。

一方で遺品は、戦争体験談の抱えるこうした欠点を、「動かぬ証拠」として克服できる可能性がある。

こうした遺品の可能性を最大化するためにも、国吉氏の記憶を記録化する必要がある。昨年度は網羅的なヒアリングをするべく、膨大な遺品からその日に聞き取る遺品を数十点決め、一点一点について出土した状況を聞き取っていった。しかし今年度は、記憶が薄らぎつつあるため、国吉氏の思い入れの強い遺品に絞って聞き取っている。これにより、多くの遺品は何の情報もなく放置されることになるが、量的な広範性よりも、迅速で質的に充実した記録を残すことを選ぶしかなかった。

民間人が壕で生活を送っていたことの証明

大阪や神戸など各地で開いている「展示会」は、ヒアリングの成果を発表し、沖縄戦の記憶を内地に広げる試みだ。沖縄戦の実相を効果的に伝えるため、今年から民間人遺品を充実させた。

沖縄戦の最も凄惨な面は、日本軍の持久戦戦略によって、沖縄の民間人が米軍・日本軍の板挟みとなり、一切の安全と人間的尊厳を奪われた点にある。昨年は軍用品を中心に展示を行ったが、そうなると壕の多くが民間人の避難場所かつ生活拠点であった、という面を隠してしまう。

国吉氏の収容した遺品の中には、歯ブラシ・枕・タンスの部品など、民間人が壕で生活を送っていたことを証明するものが数多くある。そこで、今年は民間人関連の遺品を積極的に公開し、民間人の壕を奪った日本兵の暴力性を伝える工夫をしている。

もうひとつは、国吉氏の存在自体の特殊性を伝えようと心がけている。国吉氏の経験は沖縄社会の内部にある亀裂を暗示し、またその亀裂を生み出した内地人の暴力性を浮き彫りにする。これまで国吉氏は自身のことをあまり語ってこなかったが、沖縄でマイノリティになりつつ、一貫した信念で収容に向き合ってきた国吉氏の体験談は、沖縄戦を戦闘終結以降も現代まで続く抑圧として描き出す点で、一般的な戦争体験談とは別種の強みを持っている。