『日報』公開の意味を改めて考える
今回の『日報』公開は、研究者の観点からすれば、非常に興味深い内容がわかるところがあり、歓迎したいところもある。一番注目したいのは、自衛隊員の生の声を、どうやって今後の政策の発展に結び付けていくのか、というところだった。
ただし、実際には、「戦闘」という漢字2文字があるうんぬんといった、皮相な国内政局の観点からのみ、『日報』が論じられているのは、悲しい思いにかられる。
第一に、公文書なのだから保存をきちんとするべきだ、という意見は、全くその通りだと思う。第二に、しかし公開にあたっては、政局に流される形で拙速に行いすぎないようにすることを、世論も認めてあげるべきだ。
第三に、それでも、自衛隊の現場で感じたことを、われわれが直接受け止め、今後の政策論争につなげていくことができるのであれば、今回の『日報』公開には、歴史的意味があった、と総括することができるようになるかもしれない。否、ぜひ、そうなるように、努力していかなければならない。
東京外国語大学教授 1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。