モスクにおける「金曜礼拝」は、基本的には宗教的なものであるはずだ。確かに『日報』を見ると、説法者が繰り返し政治的発言をしていることがわかり、正直、学者にとっては非常に興味深い資料になっている。だが果たしてこれを全日本人が容易に見ることができる形で、宗教指導者の実名入りで、公開してしまってよかったのだろうか。

やはり自衛隊はもう二度とイラクでは活動しない、ということを考えると、深刻に考える必要はないのかもしれない。しかし同じようにモスクがあって複雑な政治情勢がある地域で自衛隊が活動する可能性が少しでも残っているのであれば、あるいは他国も同様の活動を行っていた可能性があるならば、情報収集活動の公開は、微妙な要素があるな、と思わざるを得ない。

「バグダッド日誌」「バスラ日誌」について

ちまたでは、自衛隊員の生の声がわかる「バグダッド日誌」「バスラ日誌」が評判になっているという。確かに興味深い記述が多々あり、中優れた観察や、こなれた文章表現があり、読み物として面白いものになっている。実際、派遣中も、離れた同僚に向けた清涼剤となるべく、相当な配慮をして書き続けられたものだったのだろう。

私としては、「日誌」のほとんどの内容が、多国籍な職場環境で働くことに対する新鮮な喜びから生まれたものであることに、特に着目する。自衛隊員は、やはりこのような機会を求めているのだ、そして有益だと思っているのだ、ということを、強く感じるからだ。

しかし、『日報』が特別な経緯で公開されたものであるだけに、やや複雑な感情を覚えざるを得ないのも事実である。自衛隊員自身のみならず、他国の職員の場合でも、実名は全て黒塗りにされている。かなりまとめて黒塗りにされている繊細情報と思われる部分もある。私なら、例えば2006年2月28日の「バスラ日誌」における、英国軍新調の防弾チョッキが「7.62mm弾」を撃ち込んでも貫通しない、といった記述は、念のため黒塗りにしただろう。だからどうということもないと思うが、外交的な配慮でそうしただろう。

実は、『日報』では、他国の活動については黒塗りされている場合が多いのだが、塗り忘れが多く、記事全体を読むと、どの国が黒塗りされているのかがわかってしまう、という場合が、散見される。日本語の文献は、こういったところが比較的甘くなるのだが、英語で書かれたものであったら、もう少し厳密に扱わないと、思わぬ問題を招きかねないのではないか。例えば2006年6月8日の「米軍のあまりに安易な武器使用」についての記述や、その他の箇所での米軍の末端兵士の能力についての描写の記述などは、公開されたのを知って、執筆者は相当に困惑しているのではないか。