政権基盤の弱さゆえの暴走

李承晩が1948年に入り、南部単独での国家樹立を打ち出すと、統一派の反発が南部全域で強まりました。特に、済州島民は政権批判を強めました。済州島は李王朝の時代から弾圧と迫害の歴史を有しており、反体制的な色彩の強い地域でした 。

李承晩は自分に歯向かう「生意気な」地域の代表として、済州島を選び、見せしめに島民を大量処刑することに決めたのです。

この時、済州島に軍や警察とともに派遣されたのが西北青年団でした。ヤクザ者の彼らは島民を略奪・性的暴行・虐殺する「自由」を与えられ、その結果、島民の5人に1人にあたる6万人が殺害されて、済州島の村の大半が焼き尽くされます。

当時の国防長官の申性模(シン・ソンモ)は済州島民の虐殺について、「西北青年団」が島民に乱暴を働いたことであると答え、軍や警察の関与を平然と否定しています。

済州島虐殺事件は、この連載でも前に触れた「漢江橋爆破事件」「保導連盟事件」と並ぶ、韓国当局による自国民の虐殺事件です。しかし、李承晩政権下の自国民虐殺事件はこれだけではありません。主なものだけでも、以下のようなものがあります。

・高陽衿井窟民間人虐殺事件(1950)
・江華良民虐殺事件(1951)
・山清・咸陽事件(1951)
・居昌虐殺事件(1951)

これらは共産主義者やそのスパイ、北朝鮮に協力したと見なされた一般民間人を、当局が処刑・虐殺した事件です。ただ、それは建前上の理由であり、実際には、政府に批判的な人々やその家族を消すということが目的でした。日本統治時代の親日派も処刑されています。

当時の大統領李承晩は政権基盤を持っていませんでした。戦前、アメリカに亡命していた経歴があったため、アメリカ人のコネで、アメリカ人によって担がれた傀儡政治家でした。戦後、臨時政府の首班となり、そのまま、韓国大統領となります。李承晩は自らの政権基盤を固めるために、反対派を大量処刑・虐殺します。政治経験の未熟な李承晩は、恐怖政治という古典的な手段以外に頼れるものがなかったのです。

さらに、1950年に朝鮮戦争が起こると、前回この連載で解説した保導連盟事件に連動し、済州島での取り締まりが強化されました。刑務所に収監されていた容疑者まで含め、大量処刑・虐殺が1953年の休戦の時を超えて54年まで続き、約28万人いた島民は3万人弱にまで激減したとされます。

死体は海に投げ捨てられ、その多くが対馬や北九州に流れ着き、対馬や北九州の人々が埋葬し、供養しました。

コリアタウンの賑わいの陰に

また、この期間、小さな船で命からがら済州島を脱出する者が絶えず、対馬や北九州、山口県の海岸から日本へ入り、彼らは在日韓国人となります。彼ら済州島出身者の多くが、大阪市生野区の鶴橋に定住し、コリアタウンを形成していきます。

どうして、鶴橋だったのでしょうか。1920年代から大阪市の市域拡大開発が続き、生野区などの西部地域で大規模な土木工事が展開されました。朝鮮人の出稼ぎ労働者もこの土木工事に積極的に受け入れられ、当時から朝鮮人集落の原形がいち早くできていました。その後も集落は発展していき、1948年の「済州島虐殺事件」後、多くの済州島民が鶴橋を頼り、移り住んだのです。事情を理解していた大阪市側も、彼らにさまざまな行政的支援を与えています。

鶴橋のコリアタウンは、その存在そのものが、韓国の凄惨(せいさん)な戦後史の証人なのです。

宇山卓栄(うやま・たくえい)
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『“しくじり”から学ぶ世界史』 (三笠書房) などがある。
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