いま「朝鮮半島情勢」が緊迫している。だが「戦争なんて、起きるはずがない」とタカをくくっている人も多いのではないか。こんな時、役に立つのは歴史の知識だ。67年前の朝鮮戦争(1950~1953)でも、現在と同じく「起きるはずがない」という空気が支配的だった。その結果、犠牲になったのは多数のソウル市民だったのだ。「ミサイル慣れ」することの危うさを、著作家の宇山卓栄氏が指摘する――。

北朝鮮は本当に大丈夫なのか

「ソウルは北朝鮮の間近にあるのに、大丈夫なのか?」

「有事のときに、市民はソウルから避難できるのか?」

今年5月、朝鮮有事の危機が高まる中、こんな声が聞かれました。心配になるのは当然です。67年前の朝鮮戦争では、侵攻は突然始まり、多くのソウル市民が犠牲になったからです。

危機は突然訪れる――朝鮮戦争勃発当時の北朝鮮の戦車部隊(写真=AFP=時事)

実際に、北朝鮮は弾道ミサイルを発射するなどの挑発を繰り返し、米軍は11隻の原子力空母のうち3隻を北朝鮮近海に集結させ、両国の緊張は一気に高まっていました。今は落ち着いていますが、朝鮮有事が危ぶまれる事態でした。

「ソウルは今、危ないから旅行をキャンセルする」と言って、せっかくの旅行を取りやめた人もいたようです。ソウルから板門店の休戦ラインまで、北に約60km、車で1時間の距離です。有事の際、ソウルが無事では済まないのはいうまでもありません。

私は多くの人と同様に、さすがのトランプ大統領も北朝鮮を攻撃することはできないだろう、と感じていました。今のアメリカには巨額の軍事費を負担できる財政余力はなく、ロシアや中国といった大国との関係を考えれば、北朝鮮への軍事介入などできるはずがありません。「心配いらない」と。

しかし、有事や戦争というものは、そのように皆がタカをくくっているときにこそ、突如、起こるものです。67年前の朝鮮戦争の時もそうでした。

「また、いつもの小競り合いか」

1950年6月25日午前4時に、約10万の北朝鮮軍は何の前置きもなく、突如、北緯38度線を越えて、侵攻してきました。この日は日曜日で、多くの韓国側の軍人は登庁しておらず、また、農繁期のため、帰郷していた軍人も多く、警戒態勢をとっていませんでした。大統領の李承晩(イ・スンマン)をはじめとする政府首脳部も北朝鮮軍の侵攻を想定していませんでした。

首脳部はアメリカやソ連、中国などとの関係を考えれば、北朝鮮が戦争などできないと考えていました。つまり、今日のわれわれと同じように「できるはずがない」という前提が強く共有されていたのです。