1950年6月にに突如勃発した朝鮮戦争は、数々の歴史的教訓に満ちた凄惨な戦いだった。今回のテーマは、北朝鮮軍の戦車部隊が、ソウルをめがけ殺到する中で起きた驚愕のエピソードだ。市民や自軍兵士を置き去りにし、われ先に逃げ出した大統領の姿は、2014年のセウォル号事件の悲劇を思い出させる――。
当てにならない責任者
2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました。船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、この指示に従って船室にとどまった乗客は水が船室に流れ込み、出られなくなってしまいました。その結果、修学旅行生ら293人の若い命が失われました。
1950年の朝鮮戦争の際、李承晩大統領はラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」という放送を流します。ソウルに北朝鮮軍が迫っていましたが、ソウル市民はこの放送を信じて、避難行動をとりませんでした。
ソウル北郊の住民たちが大挙、ソウルへと避難し、大砲の音が間近に聞こえた時、ようやくソウル市民は「これはタダ事ではない」と気付きはじめたのです。この時、李承晩大統領は既にソウルから脱出していました。
ソウル市民は北朝鮮に対し、「同族」の意識が強くありました(今でもある)。同じ民族どうしで、殺し合いなどできるはずがないと。民族を分断する戦争というものへの実感がほとんどなかったのです。そのため、市民の多くは大砲の音が間近に聞こえても、血に飢えた敵軍が迫っていると理解できなかったのです。
ソウルは3日で地獄と化した
一方、「逃げ遅れれば殺される」と危険を感じ取ったソウル市民は避難しはじめました。ソウルから南へ逃れるには漢江(ハンガン)を渡らなければなりません。市民は漢江大橋に殺到し、付近は大混乱でした。