統一か独立かで国論が二分
いつも観光客でにぎわう、大阪・鶴橋のコリアタウン。おいしい焼肉店や各種の韓国食料品店、美しいチョゴリを売る店など、本場の韓国さながらの雰囲気が人気です 。
一方で、実はこの街の成り立ちそのものが、韓国の悲しい歴史と深く関係しているのです。
今の在日韓国・朝鮮人の人々のうち、済州島の出身者が大きな割合を占めると言われます。済州島は韓国の最南端の島で、福岡から100km程度、対馬から50km程度の距離にあります。現在では観光リゾートとして人気を集めている場所です(昨今、中国人や中国企業が島の不動産を買いあさり、森林の伐採を進め、水資源などを大量に採取して、深刻な問題が生じています)。
この美しい島が、第2次世界大戦が終わった後、2度も地獄と化しました。1948年の済州島虐殺事件(済州島四・三事件)と、1950年からの保導連盟事件に連動した大弾圧です。これらは私たち日本人にとっても関係の深い出来事なので、よく見ておきたいと思います。
まず、済州島での大量虐殺がなぜ生じたのかという政治的な背景を見ておきましょう。第2次世界大戦後、朝鮮半島はアメリカとソ連により、北緯38度線を境に南北分割占領されました。冷戦の対立の深まりとともに、米ソ両国は傀儡(かいらい)政権をそれぞれ樹立します。南部では李承晩が、北部では抗日パルチザンで活躍した(とされる)金日成が首班となります。
李承晩は北部との対立を後回しにして、南部単独で国家樹立を先行させるべきと考えていました。一方、そのようなことをしてしまえば、民族が分断されることになりかねないとして反対する者もかなりいました。その代表が金九(キム・グ)や金奎植(キム・ギュシク)や呂運亨(ヨ・ウニョン)でした。(金九と呂運亨はその後、李承晩派とみられる 人物によって暗殺されます)。