以前にも、頻繁に38度線を挟み、小競り合いが生じていました。韓国軍の上層部は事態の確認に時間をとられていました。彼らは防衛線を次々と突破されて初めて、戦争が始まったと気付いたのです。

李承晩大統領は自宅で、日曜日の朝、くつろいでいました。軍部から李承晩に第1報が入ったのが侵攻から6時間後の午前10時でした。李承晩は最初、報告を聞いた時、「また、いつもの小競り合いか」と聞き流したそうです。報告をした大統領秘書が「今回はそうではないようです」と血相を変えて答えると、ようやく李承晩もことの重大さに気付きます。

相手が宣戦布告してくるとは限らない

現代のわれわれも、「また、いつものミサイル発射か」とだんだん不感症になっているのは怖いことなのです。戦争が始まるにあたり、相手がいつも宣戦布告してくるとは限りません。戦争が始まったと気付いた時には、機先を制されてしまって、もはや対処が難しいということはよくあります。今も昔も、そのことは変わりません。

慌てた大統領は国防長官の申性模(シン・ソンモ)を呼び、前線の状況を問いました。この時、既に韓国軍は不意を突かれて大混乱に陥り、各防衛線で敗退していましたが、申性模は「わが国軍が勇敢に戦っている」と強がりを言いました。李承晩は文民出身で軍事に疎く、申性模の報告をうのみにして、取りあえず安心しました。

アメリカ帰りの李承晩は、英語が堪能で、駐在米軍に自ら電話を掛けまくり、アメリカ人将校らに「何とかしろ!」と怒鳴りつけ、迷惑がられたそうです。一方で、李承晩はアメリカが迅速に対処してくれるものと決め込んでいました。しかし、アメリカ軍も戦争の準備は全く整っておらず、その動きは緩慢で、トルーマン大統領が報告を受けたのは、北朝鮮の侵攻開始から10時間後というありさまでした。