2人とも「希代の名将」ではなかった
さらに、3つ目の要因。『孫子』には「戦わずして人の兵を屈す」という有名な言葉があります。よく、「戦わずして勝つ」とパラフレーズされますが、この言葉に象徴的なように、『孫子』は全般的に政治家目線が強い内容が特徴になっています。つまり、政治・外交的な立場からいえば、そもそも戦わないのも、上手い政略のうちなのです。
一方の『戦争論』は、クラウゼヴィッツが基本的に軍人だったこともあり、あくまで軍人目線。基本的に戦うことを、当たり前の前提にしている点に特徴があります。
さらに、もう1つ細かい点をあげると、クラウゼヴィッツは、
「ライバルは基本的にはコントロールできない」
と考えていました。まず同じ相手と何回も戦うことを想定していますので、手のうちがお互いわかっていると考えざるを得ない点が1つ。もう1つは、仮想敵が希代の天才ナポレオンでしたので、こちらの意のままに動いてくれるという想定がしにくいという事情もあったのでしょう。
一方、『孫子』のほうは、
「ライバルは、ある条件やノウハウをつかえば、上手くコントロールできるはず」
という前提をとっていました。ただしこのためには、同じ相手と何回も戦わないようにする必要が出てきます。同じ相手と何回も戦っては、手のうちがバレてしまうからです。このため、『孫子』のノウハウは強力なのですが、同じ相手には何回も使えないという特徴が出てくるのです。
以上のような対照的な面を持っているがゆえに『戦争論』と『孫子』の発想は大きく異なってくる、と筆者は考えていますが、同時に、両者にはユニークな共通点もあります。
それは『戦争論』の著者であるクラウゼヴィッツと、『孫子』の著者と目される孫武ともに、希代の名将ではおそらくなかったこと。両者とも、華々しい戦場での活躍が具体的には残されていませんし、孫武のほうは仕えていた呉という国が滅亡してしまってもいます。
しかしだからこそ、『戦争論』と『孫子』という名著が残されたのでしょう。現実での忸怩(じくじ)たる思いが、執筆の大きな原動力になった可能性があるからです。