善意に張り付いた悪意、邪悪さの内側にある良心――。矛盾に満ちた人の内面を矛盾のままに受け入れることを通して、引き裂かれそうになりながらも決定的には引き裂かれない、ぎりぎりの地点を彼女は描き出そうとしているかに見える。

「私にとって、人の痛みや考えをリアルに想像できるのは、“世代”というくくりまで。それ以上の大きなことにはリアリティを感じられないんです」

『偏路』の稽古風景(写真左2点)。稽古中、ノートにつづっていたメモ(写真右上)。『偏路』の本公演の様子(写真右下)。

自身の作品について語るとき、彼女はこうも語る。けれども何かを描こうとして作品を書いたことは一度もない、と語るのも忘れない。自身の世界観や方法論を分析したい欲求に駆られるが、それを必死に考えないようにしている。「いつか自分自身の二番煎じのようなものを書いてしまう気がするから」だ。

3月、再び東京で話を聞いたとき、彼女は「今は小説を書かなきゃいけない時期」と語った。

「いまだに小説の書き方も演劇の書き方もわかりません。つかみどころのないものに一番魅力を感じるんです」

まずはとにかく書き始め、そして待つ。「自分の中に何があるのか」と考え続けるうち、いずれその何かに揺り動かされるように手が動き始めるのが理想、と彼女は続ける。

そうして物語そのものに身を預けることで、“つかみどころのない場所”に自身を連れて行くこと――表現者としての、彼女ならではの流儀だろう。

(滝口浩史=撮影)