不透明な選択肢と不明瞭な論点
その点で、僕はこの資料に対して「議論の入口」としては非常に使いやすいという印象をもった。というのも、「AではなくB」が通じない人々は、学生であってもまだまだ多いというのが地方私大に勤める現場の感覚だからだ。さらに、流動化、家族モデルの変化、高齢化、メディアの信頼性など、社会学部であればどれも必ず触れるような論点が盛り込まれていることも、その理由のひとつだ。
一方で、そうした社会学に共感的な人間だからこそ感じる限界もある。単純に、これだけのページ数を割いても、「混ぜて論じてはいけないものを一緒くたにしている」「総花的な話になりすぎて具体的な選択肢や論点が見えない」という、社会学にありがちな弱点をさらしているからだ。特に僕が扱う「理論社会学」という社会思想にも近い分野で、こういう問題は生じがちだ。政策論に落とし込むなら、もう少し明快なエビデンスと具体的な選択肢が必要だっただろうとも思う。
しかしながら、議論が続けられることには大きな意味がある。言い古されていようと新自由主義的だろうと、そもそも状況は改善しておらず、というか失業率がほぼ完全雇用レベルにまで下がったことで、経済成長によるパイの拡大より、働き方を含めたライフスタイルの変化や、それを促す仕組みづくりがなければ「この先」が見通せない状態になっている。そのとき、「じゃあどうするの」の先に、「今までと同じようにさせろ」以外にどんな選択肢を描くのかは、どのような立場であれ求められることなのではないか。