石巻では、伝統的に自前主義が強く、すべての仕事を正規の従業員がやっていた。しかも、製造ラインの最終加工部門に人が多い。そこを中心に、部署単位でアウトソーシング案をつくらせた。仕事の流れを見直して、効率を上げるには機械をどう並べればいいか、外部からの従業員に任せるにはどこを重点的に自動化するべきか。そういう点を、考えさせる。

議論には工場の各部門から集めたが、専従は自分だけ。しかも、古き自前主義の壁は厚い。でも、ひたすら「工場をよくしたい、存続できるようにしたい」との思いを貫き、正しいと思うことを説き続けると、共鳴者が増えていく。当時、1282人いた正規従業員は、いま約500人。外部の協力会社が、大きな戦力になった。

同時に着任した工場長は、17歳年上で、生産畑を歩いた昔気質の人。よく構内を歩いて、隅から隅まで知り抜き、「お前もせっかく工場にきたのだから、暇なときは工場の表通りを歩くのではなく、裏を歩け。細かい路地をいくと、そこに問題点が潜んでいるぞ」と教わった。例えば、細い排水路があれば、手を突っ込んでみろ。もし、いっぱい原料が付いたら、ムダに流しているからで、仕事の改善点がわかる、と言われた。

時間があれば、裏路地も歩いてみた。なるほど、煙突から出る水蒸気や煙をみなくても、実情がわかる。教えは、工場の効率化に生きただけでなく、東日本大震災があった後も、どこをみれば設備が生きているか死んでいるかがわかり、すごく助かった。

その工場長が、生産性の向上に取り組んでいたとき、毎日何度も「この点はどうだ」「ここは、こうではないか」と聞いてきた。口頭で、ではない。A4判の白い紙に、毛筆で書いてくる。指示書ではないが、「この件については、小生はこう考える」とある。残念ながら、回答は普通のペンで書いたが、最大の共鳴者だった。

「徳不孤、必有隣」(徳は孤ならず、必ず隣有り)──立派な行動をしていれば決して孤立せず、必ず共鳴者が現れる、との意味だ。孔子の『論語』にある言葉で、仮に孤立したとしても一時的なものにすぎず、気に留めなくていい、と説く。時代にそぐわなくなった工場改革を、孤立を恐れず、信念を貫いて共感を集めていった芳賀流は、この教えに通じる。