大学3年生でフランス留学、初日にスリに遭う
【田原】起業までの道のりもうかがいましょう。ご実家は熊本で100年続いている婦人服店だそうですね。
【山田】戦前は呉服屋でした。そこからスポーツ用品を扱うなど紆余曲折があり、この50年は婦人服の専門店です。僕は2人兄弟で、兄がいます。兄はいま小学校の教師で、ビジネスをやるタイプじゃない。小さいころから、店を継ぐのは自分だろうなと漠然と考えていました。
【田原】大学の途中でフランスへ留学された。なぜフランスですか。
【山田】当時留学というとみんなアメリカでしたが、ファッションの本場は何といってもフランス。もちろん大学に入ったときはフランス語なんて話せません。単語帳を持ち歩いて勉強して、なんとか試験に通って留学できることになりました。大学3年生のときです。
【田原】渡仏初日にいきなりスリに遭ったそうですね。
【山田】僕は貧乏性なので、荷物を航空便で送らないで自分で抱えて持っていきました。スーツケース2つにリュックを背負って、ポケットには長財布。その格好で空港からパリ市内に向かう地下鉄に乗ったところ、乗り越えようとしたときに車内の人たちに邪魔されてスムーズに出られませんでした。なんとかホームに降りて振り返ると、車内の一団がこちらを見て笑ってる。あれっと思ってポケットを触ったら財布がない。気づいたときにはもう電車が動き出していました。
【田原】お金の類いは全部なくなったんですか。
【山田】はい。1年パスの航空券だったので、そのまま空港に戻って日本に帰ろうかと思いました(笑)。とりあえず大使館でお金を借りようとしましたが、それは無理でした。すがる思いで留学先の大学に電話したら、担当のフランス人が「自分のおばあさんがパリにいるから、そこに一緒に住め」と紹介してくれて、2人で暮らすことになりました。
【田原】お金がないと、勉強どころじゃない。どうしたんですか?
【山田】とにかく働かなくてはいけないので、雇ってくれというレターをいろんなところに出しました。パリの観光案内所にも「自分は日本語が話せる」と売り込みました。でも、「おまえは日本語を話せても、そもそもパリのことは何も知らないじゃないか」と断られました。考えてみたら当然ですよね。全部で28通出しましたが、このような調子でどこもまともに相手にしてくれなかった。ところが、一つだけ面接すると返信してくれたところがありました。それがGUCCIです。
【田原】GUCCIがよく面接しましたね。
【山田】奇跡です。渡仏したときはフランス語をまだ話せなかったのですが、暇でおばあさんの散歩につきあっているうちに上達して、最低限の会話ができるようになりました。おかげで面接でも「何でもいいからやらせてくれ」と伝えることができて、地下のストック整理からやらせてもらうことになったのです。
【田原】ストック整理はどんな仕事?
【山田】地下の真っ暗なところで、ひたすら値札をつける作業をしました。でも、逃げ出そうとしないで真面目にやってするやつは珍しいといわれて、まもなくギフトラッピングの係に昇格しました。こうして少しずつステップアップして、次はレジで免税手続きをやる係、最終的には売り場に立たせてもらって接客することができました。