「繋がれた鎖」を外すという意味

死が避けられないものであると説明しても、現実に受け入れられない方たちもいます。それは、小さな子供がいる若いお母さんだったり、これまで何不自由なく幸せに暮らしてきた方だったり、サイレントキャンサーが突然発見されたが、進行性がんだったために手の施しようがない方だったり……。ある日突然「死」を目前に突きつけられた人たちです。

彼らの残された時間に限りがあることは、医師の私たちにはわかっていますから、彼らの気持ちも理解できるものの、残された大切な時間をご本人とご家族のために使ってほしいと思うので、ご本人とじっくりとお話をして、ひとつずつ「繋がれた鎖」を外すよう促します。鎖とは、ご本人が生きている上でかかわっている人や役割などとの繋がりです。家族、友人、健康、人生、仕事、希望、夢、美貌など、さまざまな鎖がありますが、それをひとつずつ外してもらって旅立ちの準備をしてもらうのです。

残りの時間に限りがあるとわかると、人はいつまでも悲嘆に暮れてはいません。残された時間をいかに濃く生きようかと、自分のやりたいことを始めます。食べたいものを食べ、可能な限り行きたいところに行き、愛する人たちに感謝の言葉を述べ、人生を終えていく……。がんという病気はある意味、そういう準備期間を与えられた病気だと思ってもよいかもしれません。私たち在宅医療者は患者さんとご家族のサポートを精一杯させていただきたいと思っています。

川越厚(かわごえ・こう)
1973年東京大学医学部卒業。茨城県立中央病院産婦人科医長、東京大学講師、白十字診療所在宅ホスピス部長を経て、1994年から6年間、賛育会病院長を務め、退職。2000年6月、「クリニック川越」を開業すると同時に、主にがん患者の在宅ケアを支援するグループ「パリアン」を設立。16年間で2000人以上のがん患者を看取ってきた。訪問看護、居宅介護支援、訪問介護、ボランティアなどのサービスを提供している。メディア「プロフェッショナル仕事の流儀」でもその取り組みを取り上げられた。『いのちとの対話』(日本基督教団出版局)『ひとり、家で穏やかに死ぬ方法』(主婦と生活社)など書著多数。
(取材・構成=田中響子)
関連記事
なぜ「自宅で死ぬこと」はこれほど難しいのか
自宅での看取りを支援する「看取り士」とは
「余命宣告」の恐怖! 覚悟を決めて「いまを大切に生きる」
自宅派vs施設派 「最期まで自宅で」親の希望に応えるには
一日のなかで「がんや病気のことを考えない時間」を持つ意味