「自律した生き方」のトレーニング

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
コミュニケーションプロデューサー/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

社会が成熟するにつれ、社会的・経済的に自分の足で立つこと(=自立)よりも、「自分は何者なのか」「自分なりに生きていくとはどういうことなのだろう」という問いが生まれてきます。この、自分の内面の問いと向き合い、自分の個性や癖、偏りなどを受け入れていくことが、本来の「自分らしく生きる」という意味であり、「自律」という言葉の本質なのだと思います。

その「自律」のためのトレーニングに、座禅や瞑想は適していると言われています。僕たちはいつも、「この仕事ではどちらを選ぶべきか」とか「どうすれば成功するだろうか」と頭で考えたり、周りの情報を判断したりして、自分の「外側」に答えを求めている。しかし、それをいくら思考しても、いつも完璧な結論を導けるわけではなく、うまくいくことばかりではありません。

それよりも、自分が本当に求めていることや大切にしたいこと、それは大げさに言えば、自分なりの哲学とも呼べるかもしれませんが、自分の「内側」にある自然な声にそっと耳を傾け、自分をありのまま感じることで「自分なりの生き方」に近づくことができるのかもしれません。もちろん、それが会社や組織の短期的な成果や評価につながるとは限りませんが……。

現代社会に生きる僕たちが、何もしない、何も考えない時間をつくるのは案外難しいことです。だからこそ、そんな時間をつくっていくことは大切です。興味があれば、まずはその成果などを期待しすぎずに、ただ体験してみればいいのではないのでしょうか。

雑念だらけなら、「自分は雑念だらけだ」と感じるだけでいい。それが、自分自身を見つめているということなのだと思います。

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