「無」を目的化しない

しかし、それがそもそもの間違いだと思うのです。流派の一つでは、座禅は何もせずに「ただ座る」ことが基本だとされています。何の目的意識も持たず、何も意図や期待しない時間をつくることで、その瞬間だけに集中する。つまり、「無」を目的化してしまえば、それすらも邪魔になります。ただそこに座り、自分を自然な状態にすることで、何者でもない自分を感じることが大切なのだと思います。

実際に体験会などで具体的にアドバイスされるのは、「深く呼吸する」ことだけです。あたりまえですが、呼吸は人間が生きるための原始的な行為であり、それに集中すれば、「自分が今生きている状態」に意識をフォーカスすることになります。

僕が研究活動を通じて座禅や瞑想にも興味をもったのは、それが「自律した生き方」につながるとも考えられているからです。

ここで、「自律」という言葉の意味を改めて考えてみたいと思います。よく比較される言葉に「自立」がありますが、「自立」とは「経済的・社会的に一人前になる、独り立ちする」という意味です。

一方で「自律」は、一般的には「自分を律する、コントロールする」といった言葉ですが、もう少し深い意味があります。「自分自身を受け入れる、自分の内面と向き合っていく」ということ、つまり、自分が置かれた状況や環境をまずは認め、自分の心や精神とちゃんと向き合っていくことだと解釈されています。