病床の妻に「俺の飯は心配するな」で離婚

(3)基本的会話ができない夫

最近、うちの近所の自動車ディーラーの営業さんに赤ちゃんが生まれた。お祝いがてら「どんな子育て方針なのか?」を聞いてみた。そうしたら彼はこう言ったのだ。

「おはよう、おやすみ、ありがとう、ごめんね、この4つが言えれば、もう生きて行けると思うので、それだけですね」

大いに共鳴したが、大人になると、家族に対してだけできなくなる男が増えるのはなぜだろう。特に「ありがとう」という発声方法は忘れ去られる運命にある。

妻は我が子が誰かから何かをしてもらった瞬間に「なんて言うの?」と声をかけながら子育てをしているのに、夫にもしないといけないのかと思うだけで気が重くなるというものだ。

大人を躾け直さなければならないなんて、結婚したとき、誰が考えただろう。

(4)自分のことしか考えない

「中学受験をすると離婚が増える」というのは私の発した格言だが、何か家族の一大事に自己中心的な態度を取られた妻は夫の行状を忘れない。

例えば、何の協力もしなかったくせに合格発表のときだけ参加して、手柄を横取りするタイプに代表される。もっとありふれた例を出すならば、妻の病気のときに「寝てろよ! いいよ、いいよ、高熱なんだから、俺の飯は心配しなくて!」と言い放つ夫である。

その瞬間、妻の脳裏には「離婚」の2文字が浮かぶだろう。こういう夫を持つと始末が悪い。「病気の妻にやさしくできる俺さま」に酔っている分、悲惨度がレベルアップする。まだ「俺の飯はどうなるんだ?」の方がマシである。

これの何がいけないのかがわからない御仁に模範解答を教えて差し上げるならば、こうである。

「頑張り過ぎちゃったから、神様が休めって言ったのかな? いつも家族のために頑張ってくれてたからだな……。何が食べたい? 俺、自信はないけど○ちゃんが食べたいもの、作ってみるから。栄養付けて、早く良くなってくれよ! もちろん、片付けもバッチリやるから、安心して寝てろよ!」

解説しよう。正しいステップは次の通りだ。

(A)病気になったということを肯定し、まずは妻の罪悪感を払しょくする
(B)日ごろの妻の苦労をさり気なく労う
(C)自分に出来ることはやらせてほしいというアピール
(D)大事な人の一大事と捉え、家族としての愛情を示す
(E)早期回復を願って、万全の態勢で安静状態を作ろうとする心意気

これらA~Eのステップを踏んだ気持ちを入れ込むことが大切である。

人は弱っていれば弱っているときほど「自分のことだけを心配してくれる」人を欲する生き物なのだ。

それなのに、この期に及んで、弱っている者を奈落に突き落とす夫のなんと多きことだろう。