それから彼女はカリフォルニア大学の修士課程にすすみ、カウンセリングを学び、さらには研究者として「がんの自然治癒はいかにして起きるのか」をテーマに選びました。ターナー博士はそこから、世界中の「がんの自然寛解」を記録した医学論文を1000本以上、10年の時間をかけて読み進めました。
その成果が、“Radical Remission――Surviving Cancer Against All Odds”(拙訳書の原題)となり、2014年3月に刊行されました。そして彼女のアイデアの源となったのが、わが日本の寺山さんのアドバイスだった――。
このエピソードを聞いて、わたしは、頭をふかく、ふかく垂れたい思いにいっぱいになりました。
日本の1980年代は、いまのように、がんの告知がされる時代ではありませんでした。入院中の寺山さんは、自分ががんだとはまったく知らずに、腎臓の摘出手術をうけ、放射線や抗ガン剤治療をうけていました。
けれどもその病床で、自分が生きたまま棺桶に入れられて扉をしめられる、という夢をみます。それからでした。「自分は死にたくない。生きたいんだ」と自覚したのです。
自分の感覚をたよりに、すこしずつ、身体に力を取り戻していきました。朝、空気を肺いっぱいに吸い込む深呼吸をはじめたり、温泉に通ったり、般若心経や「雨ニモマケズ」を声に出して読んだりしたのだ、という話を、講演で披露されました。
その話を聞いて、これは特筆すべき症例だと最初に世界にむけて記したのが、アンドルー・ワイル医師でした。その20年後、ワイル医師の本に啓発された若きターナー博士は、あらためて寺山さんにインタビューをし、彼女の言葉で、寺山さんの体験を伝えなおしてくれました。
そんな大きな流れの一端に、翻訳者として関わることができたなんて、幸せなことだとつくづく思います。寺山さんは、素人翻訳者としてのわたしにも、多大なるアドバイスを下さったのですが、それはまた、別の機会に。
※この記事は2015年2月2日掲載「ふくしまニュースリリース」の連載コラムを著者と媒体運営会社、ライクス(http://www.like-s.jp)の許可を得て転載したものです。
1967年奈良県生まれ。東京外国語大学中国語学科を卒業後、新聞記者を経て99年よりフリーに。2010年8月に『ガサコ伝説『百恵の時代』の仕掛人」(新潮社)を刊行、10月よりシアトル在住。2013年からは日本とシアトルを行き来しながら取材執筆を続けている。