自由に育つも、躾は厳しく
【川端】ほんとにそうですね。ところで窪田君は飛び級した理由をご両親には話していなかったのね。窪田君のお母さんは控えめというか思慮深い方でしたよね。ニュージャージーでは親しくお話しする機会もなかったのですが、日本に帰ってからは2回ほどプライベートでお会いし、お食事もご一緒しました。
【窪田】母は私がお世話になった先生や友達のことが気になるタイプなんですよね。 今の自分があるのは川端先生のおかげだということを、私がいつも家で話していたので。だから母も先生に会いにいったんだと思います。たくさん出会った先生の中で一番印象に残っていたのが川端先生だということを、母も知ってましたから。
【川端】お父様は窪田君の生き方に何か影響を与えることはありました?
【窪田】勉強をしたくなければしなければいい、好きなように生きろって言える父親でしたよね。母にも勉強を嫌う私に、あまり口うるさく言うなって言ってたくらいです。そのせいもあったのか、母も言わなくなりましたね。自由奔放でも立ち振る舞いや言葉遣いといった躾には厳しかった。大人びたこどもだったかもしれません。
【川端】6年生の卒業の時に、「おかげさまで算数がほんとうに出来るようになりました」って言ってくださったの。窪田君は本当に勉強がきらいだったのに好きになったって、控えめにサラリと言っていただけたことが思い出されます。
そう言えば窪田君、運動会出てなかったんじゃない?
【窪田】休んだかもしれないですね。運動は好きだったんですけど、学校の行事に出ないタイプだったんです。
【川端】でもさすがに卒業式はちゃんと出てましたよね。